フランス農務省は先週の霰を伴う嵐により、Cote de Beauneの40%のブドウが被害にあったと発表した。Cote de Beauneは年間2億本のボトルを生産するBrugundy地域の10%を占めている。
**日本、2008年以来の高いインフレ
先週発表された消費者物価指数(生鮮を除く)は+0.4%の伸びを示した。これは2008年以来の高い数字である。しかしのその原因は円安による原油などの輸入品価格が上昇したことに起因するようだ。
**中国、コモディティから金融株へ
2007年に設立された中国のソブリンウェルス・ファンドCICは5750億ドルを運用している。そのうち23%はエネルギーセクターの株を保持していたが、今年に入って17%へ減少させた。その一方で金融株は同時期に19%から22.3%へと増加させている。
**日経平均は432円安の14129円
円高により。海外では98円割れ。今週のFOMC前の調整も入っているだう。
さすがに230ページの新書だと戦いの経緯が書かれていなく、結果だけが記述されているので読んでも頭に入ってこないが、自分の興味がある部分がドイツ史の中でどこに位置付けられているのかを知るには良いかもしれない。
今回はビスマルクとモルトケ、つまり普墺戦争や普仏戦争がそれに当たっていた。
ビスマルクがドイツを統一していくというからには、その前提としてドイツは割拠している状態になる。ドイツ史の解り難さはそのモザイク模様にあると思うが、それも辿っていくとフランク王国に起源があったり、あるいは神聖ローマ帝国の皇帝たちの持っていた世界観が関係してくるのだと理解できた。
次はこの割拠している時代を物語の形で読んでみたい。なにかあるかしら。
ということでおおまかな年表。
**フランク帝国
・アルミニウスはローマ軍団を壊滅させたのでゲルマン民族の英雄
・フランク王国はクローヴィスによって481年頃に統一される。そして469年にカトリックに改宗
・751年ピピンがカロリング朝を開く
・フランクの統治組織は教会と伯の組み合わせ
**神聖ローマ帝国
・843年のヴェルダン条約などによりフランク王国は、東西フランクとロタール王国に3分割される。ドイツは東フランク
・962年にザクセン朝のオットー一世がローマで戴冠し、1806年まで続く神聖ローマ帝国が始まる。
・神聖ローマ帝国は理念的にはドイツ、イタリア、ブルグント王国を指すヨーロッパの国的な意味合い。
・国王は有力者の合意による
・オットーは分国の支配者(公)については任免権を行使しつつ、その下のレベルの伯や辺境伯については事実上世襲を認め、支配権を認める一方で、国王への忠誠と奉仕を誓わせた。
・1076年からの叙任権闘争と1122年のヴォルムスの協約の結果は、叙任権と世俗的権力を分け合うことに。カノッサの屈辱を皇帝が受け入れたのは、教会と妥協しなければ諸侯の離反が避けられなかったから。
**中世後期
・ヨーロッパの重心が、地中海から北へそして東へ移動。イタリアではミラノが突出。
・12-14世紀はドイツ東方植民時代。ブランデンブルグ辺境伯などの力が強まる。
・13-14世紀は都市同盟時代。有名なのはハンザ同盟。
・1348年ペスト
・1278年ハプスブルグ家のルードルフが皇帝に選ばれ大空位時代が終わる。
**宗教改革、三十年戦争
・1378年教会の大分裂。1414年コンスタンツの会議で収束。
・1517年ルター、95か条の論題
・1521年カール五世、フランス王とイタリア戦争を始める。長期に渡りドイツ不在。戦費の為に諸侯へも譲歩する。
・1522年下級貴族による反乱の騎士戦争、1524年には農民による農民戦争。ともにドイツ諸侯により鎮圧される。
・1529年トルコによるウィーン包囲。ルターどころではない。一方ルターも山篭りしている間に、本人不在で変革運動が先鋭化。
・1531年プロテスタント七諸侯と十一都市によるシュマルカルデン同盟。
・1555年アウクスブルグの宗教和議。宗教は諸侯や都市など次第に。
・ルター派は北ドイツ、デンマーク、スウェーデン。カルヴァン派は、フランスではユグノー、スコットランドでは長老派、イギリスではピューリタンになる。
・三十年戦争の結果である1648年のウェストファリア条約により、神聖ローマ帝国は三百余の大中小諸国の連合体であると確認され、分裂が常態化。
**絶対主義と重商主義
・1683年オスマントルコ、ウィーン包囲
・ブランデンブルグ辺境伯とプロイセンからなる王国が台頭
・1740年シュレジエンを巡ってオーストリア継承戦争。フリードリヒ二世vsマリア・テレジア
・1756年七年戦争。痛み分け。
**ドイツ統一
・1789年フランス革命勃発
・1806年 プロイセン、ナポレオンと戦い大敗。1809年オーストリア、ナポレオンに敗れる。
・1813年対ナポレオン解放戦争。1814年ウィーン会議。メッテルニヒの活躍。
・1862年ビスマルクがプロイセン首相に就任。1866年普墺戦争、1870年普仏戦争で勝利。ドイツ帝国発足。その後ビスマルクはドイツが自足していることを示し、体外的な自制を図る。
・ドイツの鉄生産が突出する
・露仏同盟、英仏協商によりドイツが孤立化
・1871年に4000万だった人口は1914人に6780万に増加
**第一世界大戦とワイマール共和国
・1914年第一世界大戦勃発。
・1919年のヴェルサイユ条約で1320億マルクの賠償金(1921年)、戦争の責任はドイツ、戦争犯罪人の引渡しなど前例のないことが多い。
・1923年フランス軍、ルール占領 破局的インフレ、ヒトラーミュンヘン一揆、レンテンマルク発行
・1925年西部国境不可侵を前提にフランスやベルギーとの関係改善。1926年に国際連盟に加盟。
・1929年大恐慌。失業率は29年8.5%、30年14%、31年21.9%、32年29.9%。
**ナチス・ドイツと第二次世界大戦
・1933年ヒトラー首相就任
・1936年ラインラント進駐 ベルリンオリンピック
・1938年オーストリア合邦
・失業率は35年に10%、38年に1.9%。
・1939年チェコ占領。独ソ不可侵条約。ポーランド侵攻。第二次世界大戦。
・1940年デンマーク・ノルウェー占領。パリ入場。日独伊三国同盟。
・1941年ソ連に宣戦。アメリカに宣戦。
・1942年東部戦線で大攻勢。
・1943年第六軍、スターリンググラードで降伏。アフリカ戦線撤退。
・1944年連合国ノルマンディー上陸
・1945年ドイツ無条件降伏