2013/08/29

地図で読む世界の歴史 第二次世界大戦(5) 太平洋戦線 インド・ビルマ・中国戦線


1.西部戦線
2.東部戦線
3.アフリカ戦線
4.大西洋
5.地中海、イタリア戦線
6.北欧
7.中東
8.太平洋
9.インド・ビルマ・中国

最後は日本の関係する部分。日本も陸軍は割りと善戦しているのを考えると、海軍はその性質上一旦守勢に回ると一方的にやられてしまうのかもしれません。それにしても戦線が広い。

8.太平洋


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日本は真珠湾と伴にマレー半島、フィリピンの攻略を同時に行った。

真珠湾では戦艦5を含む18隻を撃沈し347機の航空機を破壊。イギリスの支配下にあるマレー半島は山下奉文の第25軍が侵入し2月にシンガポールまで達しこれを制圧。アメリカの支配下にあるフィリピンは本間の第14軍が侵入。マッカーサーはバターン半島で抵抗するも03月に脱出、米軍は04月に降伏した。

42年1月にはマレー、フィリピンが順調なことを受けてオランダ領東インド、現インドネシアに進出し3月に占領し天然資源を確保した。

42年4月に空母ホーネットから発進されたB-25爆撃機16機が東京を空襲したのを受けて、山本はイギリス艦隊の根拠地のセイロン攻略部隊を戻す。

42年5月には米豪遮断作戦(ポートモレスビー、ソロモン諸島の攻略)を巡って珊瑚海海戦が行われ互いに日本は空母1を失い、ポートモレスビーへの上陸作戦を中止した。

42年6月日本海軍はアメリカの太平洋艦隊を誘い出そうとミッドウェー島へ進出しミッドウェー海戦が行われた。日本は空母4隻と艦載機332機、アメリカは空母1隻と艦載機137機を失った。

珊瑚海海戦で苦杯をなめた日本であったが、それでもニューブリテン島、ブーゲンヴィル島、ニュージョージア島とソロモン諸島を攻略し、ガダルカナルにも進出していた。しかし42年8月から始まったガダルカナルの攻防戦では補給に苦しみ43年2月に日本軍は敗北した。また42年7月からニューギニア島の南部に上陸しポートモレスビー攻略を狙ったが失敗している。

アメリカ軍はここで、ニミッツの中部太平洋部隊がマーシャル諸島・マリアナ諸島を、マッカーサーがソロモン諸島とニューギニアをそれぞれ攻略する2方面作戦を決定した。

43年11月からニミッツはギルバート諸島を攻略。マッカーサーは44年2月にニューブリテン島に入りラバウルを孤立化させた。

44年6月からはアメリカ軍はマリアナ諸島攻略に取りかかる。6月19日~21日までにマリアナ沖海戦(ア号作戦)が行われたが日本はと空母3隻と艦載機のほぼ全てを失い敗北した。8月にマリアナ諸島とパラオ諸島は占領された。

44年10月にアメリカ軍はレイテ島に上陸。日本軍は『捷1号作戦』でフィリピン防衛を図り10月23日~27日にかけてレイテ沖海戦が行ったが、ここでも日本は空母4、戦艦3などの損害を出し敗北した。アメリカの損害は軽空母1隻の他5隻程度であった。しかしマニラは45年3月に落としたものの、ルソン島北部に陣取る山下の部隊は攻略できず9月まで抵抗は続いた。

ニミッツは45年2月に硫黄島を攻略したが戦死者5885名を出した。続く4月では沖縄攻略に入り、北端までは数日で占領したものの、南部の首里防衛線は激しい抵抗にあった。6月にこれを攻略したが、1万2281人の死者と、763機の航空機、36隻の艦船を失った(大部分は特攻による)。

B-29による本土爆撃は44年6月から行われたがそれは中国の成都からであった。その後マリアナ諸島を占領しそこから爆撃するようになる。爆撃の指揮官はドイツ空爆に携わっていたルメイに変更され、昼間の高高度からの精密爆撃から夜間の低高度の焼夷弾爆撃を採用するようになりこれが効果を発揮した。45年8月には広島と長崎に原子爆弾が投下された。

45年8月9日ソ連は満州に侵入。ソ連はドイツが降伏次第、対日戦に加わることを連合国と約束していた。8月15日以降の降伏後も作戦は続行され9月初旬には千島列島も奪った。日本は45年9月2日に戦艦ミズーリの甲板上で降伏文書に署名した。


9.インド、ビルマ、中国


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ビルマ(現ミャンマー)への侵攻は12月16日に開始された。目的はイギリスのインド-マレー間の補給線の切断と援蒋ルートの遮断。タイから入った日本軍は3月にラングーン、5月にはマンダレーを落とした。インドのアッサムに撤退したイギリス軍の撤退距離は1500kmを超えた。

士気の低下に悩んでいたビルマ軍団はチャーチルの意向におされ、42年9月にチッタゴンからマユ半島を目指した。しかし攻めあぐねているうちに『越えられない』はずのアラカン山脈を迂回してきた日本軍第55師団に側面を突かれ5000人の死傷者を出し撤退した。

43年8月に連合軍は東南アジア戦域指揮部を創設し、最高指揮官にイギリスのマウントバッテン、最高指揮官代理に国民党とパイプのあるアメリカのスティルウェルが任命された。

43年末に連合軍はアラカンを目指す軍とミイトキナを攻略する方針を立てた。どちらも一定の成果をあげたが、44年3月に日本軍によるインパール攻略作戦が行われたためこれに対処した。日本軍のインパール作戦は3月末にインパール、コヒマを包囲し成功寸前までいったが6月には撤退した。

連合軍は44年11月までにチンドウィン川まで進撃していた。その後も苦戦しながら3月にはマンダレー、5月にラングーンを攻略した。しかしビルマ日本軍はシッタン川の東に退却し、包囲さなれがらも8月まで粘った。


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中国においては44年4月から12月にかけて日本軍の『壱号作戦』が行われた。目的は北京から漢口をへて広東、インドシナ半島に続く鉄道の確保と、重慶になるアメリカの飛行場の制圧。日本軍は4月に鄭州、5月に洛陽、6月霊宝を攻略。北京-漢口の鉄道を確保した。11月には桂州、柳州、南寧を占領。12月には北京-ハノイ間の鉄道の全路線を支配下に収めた。

しかし守備範囲が広く、日本軍は中国大陸に50万を越える戦力を維持しなければらなず、その結果として太平洋各地を守備する戦力が不足することになった。

**資料

国 戦闘員 一般人 合計

ソ連 870万 1600万 2500万
ドイツ 325万 360万 685万
イギリス 32万 6万 38万
フランス 34万 47万 81万
ポーランド 12万 600万 612万(うち300万はユダヤ系ポーランド)
ユーゴスラヴィア 30万 140万 170万

以下は合計のみ

ハンガリー 84万(うち54万はユダヤ系ハンガリー)
ルーマニア 46万
オーストリア 48万
イタリア 41万
チェコスロバキア 40万
その他欧州 42万

日本 200万
米国 29万
中国 1500万

**JPモーガン、6000億円の罰金を求められる

危機前に売っていた住宅ローン担保証券に問題があったとして。JPモーガンはLondon whaleや中国での買収、エネルギーや貴金属マーケットでの操作などいくつかの訴訟を抱えている。

**通貨下落に悩むインドネシア

インドネシアルピーは8月、対ドルで9%の下落を記録した。石炭やパーム油、ゴムなどの原材料を中国に多く輸出するが中国経済は低空飛行である。中央銀行は通貨防衛の為に金利を上げたいが、そうすると成長率が落ちるので悩ましい場面だ。インドネシアでは来年選挙が予定されている。

**Amazon、スマートフォン用アプリを強化へ

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