2013/08/19

小説の森散策 ウンベルト・エーコ


結局、わたしたちは生涯を通じて、なぜ生まれ、そしてなぜ生きたのかを語ってくれる、わたしたち自身の起源の物語を探しているのです。

文学の読み方を読むシリーズ。今回の本はハーバードで実際の小説家がそのテーマについて講義をしたものだったので、とても読み易かったです。本を読む際にどういった点に気を払えば良いのかについて理解が深まりました。


1読書は遊びだ。したがってルールがある。

2.中級読者は、作者の求めるモデル読者に同一化する努力をする

3.我々は小説を読むことによって、現実の体験を体系化する




**読書は遊びである以上、そこにはルールがある

小説は万人向けであることから、自分だけの感情や事実をそこに求めるわけにはいかない。それはテクストを解釈しているのではなく、利用していることになる。白昼夢を見るのは禁じられているわけではないが、公の行為ではない。


**中級読者としての役割

作者には意図がありそれをテクストで表現しているので、中級読者それを理解しようとしなければならない。この本で説明されているのは、物語は「語りの言説」によって伝達されていること、遅延や減速のテクニック(推論的散策)、三つの時間(物語、言説、読書)の関係など。

中級の読者はさらに自分に問いかけるものです。自分読書が意味をもつためには、どのようにしてモデル読者と(推測によって)同一化すべきなのだろうか、さらにはどのようにしてモデル読者を構築すべきなのか、と。


**どうして小説を読むのか

フォークランド紛争時の実際には存在しない潜水艦が事実として認識される過程やフリーメイソンなどの物語を例にとり、混沌とした世界に説明をつけて理解したがるのが人間だとし、小説を読むことによってその体系化の能力を養うとしています。


小説という虚構を通して、現在のそして過去の体験を体系化する能力を養うのです。

物語を読むことも、遊びなのです。この遊びを通して、過去・現在・未来にまたがる現実世界の無限の事象に意味をあたえることを学ぶのです。小説を読むことによって、わたしたちは、現実世界について何か真実を言おうとするときに感じる不安から逃れるのです。

これが物語りの治癒機能であり、人類が原始以来、物語をつくりつづけてきた理由なのです。それはまた、神話のもつ最高機能、すなわち混沌とした経験にかたちをあたえる機能であもあるのです。


**読後

こういった本を最近読んでいるので、小説や映画も精読していくと無駄で意味のない部分というのは如何に無いのかが理解できるようになってきました。それはやはり無知であった頃には知り得ない楽しさです。

この本も非常に混沌としていますが、それだけでは忘れてしまったり理解できないのでまとめみる。これも著者が言う体系化の一種と考えるとちょっと面白いところです。

さらに言えばそういう風に操作、指示しているのが経験的作者の意図だとすればより一層面白く感じます。

しかしそうなると次は人間はどうして人間は現実を体系化、物語化したいのかという問題になってきます。簡単な答えは生理学的なものなんでしょうが、一方でそうやって理解したがるのが人間となればここに円環の関係が成立とも言えそうです。

個人的な関心としてはさらにもう一歩踏み込んで、その構造の探求はそれはそれとして楽しいが、それを抜け出するのも同様に大事だなんじゃないかというところでしょうか。

憂愁はあらゆる詩の調子のうちでもっとも正統的なものである。


**虚栄か明確なビジョンか

衛星探査、新型の交通機関、ロボティクス、新材料、医療といった分野ではインターネットで財を築いた富豪達が競い合うかのように資金を出資し計画を進めている。こういった大きなアイデアは政府やベンチャーキャピタルが及び腰になっている分野で、それらが逆に彼らに夢と大きな市場となる潜在性を与えている

**バランスシートバトル

金融危機後、銀行はバーゼルⅢ規制により高い自己資本比率を課せられており、これは次の金融危機の際に損失を吸収する役割を与えられることになる。一方でレバレッジレシオやバランスシートの健全性は米国やヨーロッパでは変わらないが、その評価については差があるようだ。

**医療業界の現在

投資家は臨床試験の成功率が高いことから医療業界について強気だ。業界も買収などを通じパートナーシップの強化を図り、アイデアの交換を推し進めている。それらによりリスクテイキングも積極的に行われている。現場から研究室に戻るのが傾向にあるようだ。

**日経平均は102円安の13650円

上海では盛大な誤発注が。QE縮小はほぼ固まった感があり、それにむけてのポジション修正が来月まで続きそうだ。