2014/05/25
概説ラテンアメリカ史(5) 寡頭支配体制の確立 近代化思想としての19世紀自由主義思想 輸出経済の発展と従属構造の確立 新移民の流入
■寡頭支配体制の確立
カウディーリョの時代を経てラテンアメリカに安定した政治体制をもたらしたのは、寡頭勢力であった。スペイン系ラテンアメリカ諸国の場合、オルガルキーアと総称される寡頭支配勢力は、主として独立運動初期に頭角を現したクリオーリョ指導層の中でも、政治と経済の混乱期を生き抜いたものたちからなる小数の人々である。
彼らの中には植民地時代に経済力を築き上げた名門の家系もあったが、一般的には独立直後の混乱期にカウディーリョと手を結び、うまく立ち回ることによって富を蓄積してのし上がったものが多かった。
19世紀末から20世紀初頭にかけて最も目覚しい近代化を達成したのは、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、チリである。
メキシコの場合1857年に自由主義派による急進的な自由主義憲法が制定され、教会所有地の接収と共同体所有地の解体を経たのち、1876年に実権を奪取したディアスによる独裁時代が1911年まで続いた。この間、独裁権力と手を結んだ少数の富裕層が外国資本と提携して、多くの特権と富を独占した。
チリの場合、独立直後に保守派と自由主義はが激しく対立したが、1830年に保守派が実権を掌握し、スペイン系ラテンアメリカでは例外的に立憲政治の基盤がいち早く確立された。
■近代化思想としての19世紀自由主義思想
1870年代から1930年代におかけてこの地域のエリートが共有した政治・社会思想には2つの特徴が見られた。その1つはこの時代のラテンアメリカの支配層及び知識人が主としてヨーロッパ文化圏の価値観の中で生活していたことである。
2つめの特徴はこの時代のエリート層が支持した価値観が自由主義思想に基づくものだったことである。その結果、19世紀後半の近代化政策と社会・経済構造の再編制は、自由主義思想に基づいて行われた。
19世紀のラテンアメリカ諸国の知識人たちが目指した自由主義の根底には、カトリック教会からの解放があった。それはまた、非イベリア化を意味すると同時に、共和主義思想に通じた。
フアレス時代のメキシコはこの時期の自由主義思想が目指した急進的な反教会主義政策を実行した国である。
フアレス政権は、教会財産の国有化を規定した『教会財産接収法』『信教の自由に関する法』『宗教祝祭日低減法』など、いわゆる政教分離と教会権力の徹底的剥奪を目的とした法律と政令を実施した。その結果、教会を支持した保守派と自由主義派の対立が決定的となり、1858年から約3年に渡って内戦を経験した。
■輸出経済の発展と従属構造の確立
政治の安定期に入った1870年代に、ラテンアメリカ諸国は経済発展の時代を迎えた。
外国資本の導入とモノカルチャー経済構造の形成は、必ずしも欧米先進諸国から強制されたものではない。ラテンアメリカ側の指導者たちは、19世紀の自由主義経済理論に沿った国際分業論を支持した。
広大な土地と豊かな資源を持ち、人口の少ないラテンアメリカ諸国にとっては、比較生産優位説に基づいて一次産品の輸出に特化することこそ経済繁栄の道であると信じられた。
この時期のラテンアメリカ諸国は外国資本を誘致するための宣伝を積極的に行い、免税措置を設け、収益を上げるためのさまざまな優遇措置を提供した。その結果、経済開発は急速に進展した。
このようなモノカルチャー経済の確立は外貨をもたらし、その富は少数の富裕階層をますます富ませた。同時に近代的な港湾施設の建設、首都の整備と美化などが行われた。しかし国民全般を豊かにすることはなかった。多くの口で圧倒的多数を占める農民は、伝統的な大農園やプランテーションあるいは孤立した村落共同体で生活し続けてていた。
輸出経済を支える飛び地的な生産地帯と輸出のための港が直結され、社会・経済基盤はそこだけが近代化されたに過ぎなかった。鉄道網は国内統合を目指さず、鉱山地帯と港を、またプランテーションと港を直結した。
■新移民の流入
経済の発展と西欧主義は、ラテンアメリカ諸国に新しい移民の流入を促した。まず経済発展は奴隷貿易と奴隷制度の廃止とあいまって、深刻労働力不足をもたらした。
ラテンアメリカ諸国はアメリカに比べると全般的に魅力が乏しかった。1800年から1930年までに、ヨーロッパからアメリカ合衆国へは約3300万人が移住した一方で、ラテンアメリカ諸国は700万人から900万人だった。
アルゼンチンではこのヨーロッパ移民の流入で最も大きな利益を得た国である。1871年から1915年かけてアルゼンチンに入国して定住したヨーロッパ移民は約250万人とされ、当時の人口の約30%がヨーロッパ生まれであったほどである。そのうち圧倒的多数はイタリア人とスペイン人だった。