2014/07/29
渋滞学 渋滞への臨界密度は1kmあたり25台
2006年に出版して2014年で18刷なので結構人気があるのが解る。
テーマはいわゆる交通渋滞から、人やアリ、インターネット、体内といった多岐な分野における渋滞を扱っている。
面白かったのは渋滞は解消させるだけではなく、逆に渋滞させた方がいい局面もあるということ。例えば森林火災などは渋滞を意図的に起こせる間隔で植林することなどが挙げられていて、なるほどと思わされた。
大学院時代の研究テーマと非常に近い部分であり、本書でも複雑系科学やカオス理論といった言葉が読めたのは良かった。当時いまのような非常に速いCPUがあればなと思わずにはいられない。下記の例外の部分なんかも非常に良い。
クイズ王と専門家の違いは例外まで含めてある分野の原理原則を知り尽くしているのが専門家で、専門知識の一部を例外抜きで万遍なく知っているのがクイズ王である。
例外を知る事は、知識の適用限界を知る事につながり、実際に知識を実生活に応用する際にはとても大切なのだ。
■渋滞への臨界密度は1kmあたり25台
渋滞の原因はサグ部(気付かない坂道)が35%、事故が29%、合流部が28%、料金所が4%、工事が2%となっている。
サグ部では車間距離が詰まってしまう。最初の1台の少しの減速でも、車間距離がそもそも詰まっていた状態ではそれがどんどん大きく減速して後ろに伝わっていってしまう。この連鎖反応が起きるか起きないかの車間距離が渋滞における相転移の臨界状態になっている。
このギリギリの車間距離はおよそ40mであり、臨界密度で言えば1kmあたり約25台ということになる。
縦軸に流量、横軸に密度のグラフを取ると低密度の領域では車の密度と流量は比例する。この時の直線の傾きは車の平均的な自由走行の速度を表しており時速84kmとなっている。なお前述したギリギリの車間距離40mはこの自由走行速度の制動距離になっている点が興味深い。
車間距離が40m以下になっても自由走行が維持される場合があるが、これはメタ安定と呼ばれる状態である。しかし通常5分から10分しか寿命はなく、徐々に渋滞に変わっていく。
このメタ走行の状態は物流の観点からすれば大量に高速で移動できるため、実現されればとても魅力的なものである。自動運転はこれの実現を目指しておりプラトーン(小隊)走行と呼ばれる。
サグ部と同じような影響を及ぼす場所は、カーブやトンネルの入口、合流部などが上げられる。トンネルの入口は明→暗では減速が見られるが、暗→暗だとあまり見られない。人間の心理的なものである。またトンネルの閉塞感に関しては手前に小さなゲートをつけることで先に慣らすという方法が効果が上がっている。
2車線道路では渋滞になる前に追い越し車線の方に車が多く移動している。これは車間距離が200mよりも短くなってくると、自分の速度を維持しようとして車線変更をし、追い越し車線の方が良いと判断する為である。しかし皆が同じように判断するため、実際は追い越し車線の方が若干遅くなる。実は長距離トラックの運転手はこれを経験的に知っている。
車線が3レーンの場合、データを見ると渋滞をする前は中央を走る車が多く、車が増加するにつれて追い越し車線の車が増加していく。そして臨界密度付近では一番左の走行車線を走る車が一番少ない。
止まっていた車の列が動ける状態に伝わっていく速度はいつでも大体時速20kmであるが知られている。これは車1台あたり1.5秒に相当するので、例えば自分が信号機から10台目にいれば、約15秒後には動き出せることになる。これは世界各国で同じ数字である。
直線が続く道路で等間隔に信号が設置されている場所はグリーンウェーブと呼ぶ。この場所では違反速度で速く走っても赤信号に引っ掛かるようにできており、ゆっくり走ってきた車と変わらない仕組みになっている。
■人の渋滞
群集の状態は『会衆』『モッブ』『パニック』の三つに分けられる。
『会衆』は受動的な関心から集まっているもので、音楽会や劇場に集まる群衆のことを指す。
『モッブ』は強い感情に支配され、抵抗を押しのけつつ敵対する対象に直接暴力的に働きかけるもので、集団テロや襲撃が当たる。
『パニック』は予期しない突発的な危険に遭遇して、強烈な恐怖から群集全体が収拾しがたい混乱に陥りる場合で、劇場やホテルでの火事や客船の沈没がこれに当たる。
この三者は状況の変化によってお互いに変化する。
パニックになると人間は的確な判断ができなくなり、他人に追従する傾向を示すことが知られている。お互いに模倣的な行動をする一種の同調現象で、知性が低下し、自分ではものを考えず、他者に盲目的に従う。
脱出するときはドアが広ければ競争した方がよく、狭ければ協力した方が良い。また障害物を避難口の近くに置くと避難時間が短くなる場合がある。
■理学と工学の橋渡しをする人材の育成を
理学と工学が交流が進まないのはお互いの言語の違いであり、使われている記号や専門用語は、他分野の人からみるとほとんど暗号に近いものがある。工学部で純粋数学の論文を読める人はごく僅かだし、逆に工学の実験論文を数学者がみてもさっぱりイメージできない。要するに、両者の橋渡し役ができる人物が必要だ。
理学部の人はそのまま基礎研究に突き進むべきで、極端な話、応用など一切考える必要は無い。また工学部で応用研究をしている人に最新の数学の論文にも目を向けさせるのは難しい。そこで工学と理学を両方勉強した、両方の精神がわかる新しい人材が必要だ。これは一人の頭の中に両方入っていることに意味がある。