2013/08/26

地図で読む世界の歴史 第二次世界大戦(3) アフリカ戦線


1.西部戦線
2.東部戦線
3.アフリカ戦線
4.大西洋
5.地中海、イタリア戦線
6.北欧
7.中東
8.太平洋
9.インド・ビルマ・中国

今回はロンメルが活躍した北アフリカ戦線と大西洋。イタリア軍の弱さが眩しい。


3.アフリカ戦線



より大きな地図で アフリカ戦線 を表示

40年6月イタリアは連合国に宣戦布告。当時リビアに25万、エチオピアに35万のイタリア兵が駐留していた。

エチオピアのイタリア軍はスーダンに侵攻。しかし41年1月から連合軍の反攻が始まり、北のエジプト軍、西のナイジェリア軍、南はイタリア領ソマリランドからと挟撃され41年5月に降伏した。連合国は紅海のの制海権を完全に掌握。

40年9月にはリビアのイタリア軍がエジプトに侵攻したが僅か100kmのところで塹壕を掘って防備を固めた。イギリス軍は12月に反撃を開始し41年3月にはシルテ湾のエル・アゲイラに達する。しかしソ連侵攻の右翼を危険にさらされるの嫌ったドイツは41年2月にロンメルをトリポリに派遣していた。

ロンメルは補給に苦しみながらも戦線を押し返し41年4月からトブルクを包囲する。その後、しばらく膠着状態が続いたがトブルクの包囲が解けたためロンメルは12月に一旦退却する。そこで新たな部隊を加えたロンメルはすぐさま反攻し、トブルクを占領。6月には42年6月にエル・アラメインまで東進する。

エル・アラメインの戦いで損害を出しながらもロンメルを止めた連合軍は、第8軍の指揮官をモンゴメリーに変更。エニグマ解読による情報や増強される兵力をもとに9月にアラム・ハルファの戦いに勝利。10月から連合国は本格反抗し43年1月にはリビアのトリポリを解放した。

北西アフリカはヴィシー政府下にあったが42年11月にイギリスとアメリカが上陸し2月にはチュニスの手前まで進撃した。

チュニスの南のマレトで防御線を構築していたロンメルは3月にヒトラーに増援を求めるが拒否され指揮官は交代される。結局43年5月にチュニスのドイツ軍は降伏し、アフリカ戦線は終結する。なお43年1月にチャーチルとルーズベルトがカサブランカで会談を行っている。



4.大西洋

39年9月からドイツが戦艦2隻を主力とする艦隊を南大西洋に展開し攻撃を始める。12月にはラプラタ川沖の海戦でイギリス艦隊が勝利するが、Uボートにより主にイギリス付近で多くの商船が沈められる。39年9月~40年4月までで222隻。

40年に入ってからもデーニッツが考案したウルフパック戦術などによりUボートの脅威は続く。舞台はカリブ海、西アフリカ、アメリカ東海岸、北大西洋と広範囲に渡るようになる。ただし海上鑑は戦艦ビスマルクが沈むなど連合国側が優勢であった。

41年12月のアメリカ参戦により状況は変わる。撃沈数を上回る造船能力や護衛空母、長距離偵察機、レーダー技術、対潜爆弾などの技術が導入された。Uボートは42年には1500隻を撃沈したが、43年初頭以降は徐々に劣勢となった。

**バルマー引退

Steve Ballmerが13年間CEOを勤めたMicrofostを12ヶ月以内に引退することを発表した。2000年に就任して以来PC事業を良く守ったとされる一方でモバイル事業で乗り遅れたと評される。株価はこれを好感し+7.32%の34.75ドルで引けている。

**ウェブ技術者、政府による監視に対抗

IETFは2014年に次期HTTPの導入を計画している。それはトランスポートレイヤー層の暗号プロトコルに関するものであるようだ。ただちに対策を取らないと自由で安全なウェブが脅かされるという

**スペインフットボール界の改革

来週からスペインリーグが開幕するが、レアルマドリードと対戦するマラガは去年給料の未払いが発生するなど財政が悪化している。これを受けてスペインフットボール協会の会長のJavier Tebasは厳しい改革に着手した。レアルとバルセロナを除くチームの去年の赤字は2億ユーロだったが今年は4000万ユーロ、来年は1000万ユーロへと改善させる。短期的にはチームは弱くなるが中長期的にはまた復活すると考えている。

**日経平均は295円高の13660円

米株反発と影響で。