2013/10/15

主戦か講和か(3) 43年9月 五ヵ年長期戦争指導計画の採用 主戦派の大陸打通作戦の推進



戦争指導課が43年9月16日に示した終末方策の中で考えた講和条件は4つからなっていた。別紙第一は独ソ和平斡旋案。別紙第二、第三は対英米講和条件。別紙第四は対重慶講和条件。

別紙第二は対英米が有利に進んだ場合について記されている。内容は大東亜共栄圏構想をうたっているが、それでもマライ、スマトラ、セレベスなどの日本領土編入は放棄とされており、決定的勝利には至らないと考えている事が解る。つまり名目を連合国側に認めさせ、面子を保ちながら妥協的講和を結ぼうとする意図が読み取れる。

別紙第三は対英米が不利に進んだ場合について記されているが、戦争指導課としてはドイツ敗戦濃厚、制空制海権を取られている現状からしてこちらが別紙第二に対して本音の案となる。講和条件としては、領土保全、内政不干渉、機会均等、太平洋の現状不変更といったハル四原則。これに加え、三国同盟の放棄、中国からの撤退、南方政策の放棄など開戦前のアメリカが提示した条件に近い内容である。

戦局不利の場合の講和条件を日米交渉のラインまで引いたことは、日中戦争の推進や三国同盟が対米戦争の原因になっていたと戦争指導課が認識していたことを意味する。

戦争指導課の真意はソ連仲介による対英米講和という戦争終結構想である。ソ連に英米との仲介役を買って出てもらうために提示しようとした譲歩案は次にようになる。

満州国の非武装化。満州から関東軍が撤退すればソ連は安心して対独戦に専念できる。満州はこの時期治安が悪化しており、撤退したら無政府状態になることは必死であり、実質的にはソ連に対し満州を明け渡すことを考えていた。

このソ連仲介案をソ連が採っていたら、戦争指導課にいた塚本によれば、日本は敗戦直後からソ連の勢力圏に含まれていただろうと発言している。このことからかなり賭けの強い方策であったことを示している。

松谷はこの終末方策を陸軍上層部に報告した。特に、参謀総長、陸軍大臣、教育総監の3長官を全て経験した陸軍の重鎮、杉山参謀総長に強く具申し国策に反映させようと画策した。これに対し、主戦派の真田作戦課長は自らが推進していた五ヵ年長期戦争指導計画と相容れないものであり憤怒した。

43年9月30日の御前会議では五ヵ年長期戦争指導計画が採用され、長期不敗、絶対国防圏が設定された。その後も作戦課と戦争指導課の対立は続いたが10月の組織改変で、戦争指導班は作戦部から切り離され、参謀次長の直属となり異なる立場からの研究続行が可能になった。

この時期と前後して、陸軍省内の物動関係者から悲観する声があがっており、陸軍省にも敗戦意識が生まれ始めていた。早期講和派としてはこの戦争の前途を憂慮する層をいかに取り込んでいくかが課題となっていく。

主戦派では真田作戦課長が作戦部長に昇進し、後任の作戦課長には服部卓四郎が就任した。東条は陸軍内分裂という事態に対し、陸軍大臣秘書官に温存していた主戦派のエース、服部を再起用したことになる。

服部の人柄は、対者の人格と意見を尊重しながら、穏やかに発言する態度であった、組織の人としても十分に強調し、あるいは指導しえる人柄であった、外面温厚であるが、一度決意すると絶対に動ずることはなかった、と述懐されている。

第31軍の参謀を勤めた堀江は、われわれ小輩にも、まあかけ給え、といって椅子を出すマナーは、確かに一つの魅力を持っていたと証言している。また作戦課では真田や秦次長よりも服部が大黒柱で実質的な権限を握っており、また魅力的な人物だったとしている。

第一部の作戦課は、第二部の情報部の分析を無視する傾向が強かったことなど、他部署は作戦課に決定権が集中していることの反発もあり、戦争指導班はこれらの勢力を取りこむ多数派工作をしていく。

戦争指導班と縮小されながらも、終戦研究ができたのは杉山参謀総長の早期講和派への支援があったことは忘れてはならない。既に戦争収拾の腹を持っていたと窺える。

43年10月、ソ連はドニエプル川と渡河し、11月にはキエフを奪還した。また東部戦線の北端ではソ連軍はエストニア国境に達していた。こうして、全般的にはソ連優位が明らかになりつつあった。

太平洋戦線では、43年11月にマキン、タラワを占領。44年2月には台湾、トラック島を攻撃などアメリカ軍の攻勢がいよいよ本格的となっていた。

戦争指導班は44年1月において、主戦派の大陸戦線重視よりも44年度を主として太平洋方面のアメリカ軍との戦争に専念すべきと判断を下した。また44年夏にはドイツが降伏、健闘しても44年末にドイツの戦争遂行能力の限界と考えていた。

43年3月に戦争指導班はドイツ敗戦を前提とした案を作成する。その中で、日本は7、8月を境に国力が低下する憂慮した。そしてソ連の対日参戦の可能性の低い44年のとりわけ6、7月頃に焦点を当てアメリカとの決戦の必要性を主張し、ドイツが負けるかその前に和平案を国策として決定すべきだと主張した。

4月にも暗にソ連仲介によるアメリカとの戦争終結を企図していたが、自分達の戦争終結案を認めてもらうために、なおも主戦派へ配慮し、イギリス屈服推進優先の観点からソ連を枢軸国側に引き込んで、世界終戦を図る方策は今まで通りだった。

戦争指導班が、早期講和のための多数派工作をしていた頃、真田・服部らの主戦派は大陸打通作戦であった。

43年秋頃、陸軍は中国軍の兵力は300万人、在華米軍機は500機に達するとみて日本本土への空襲は大きな脅威になると予測していた。そのような状況下、支那派遣軍は重慶殲滅を含めた大攻勢の実施を求めたが、大本営は大攻勢に慎重で、戦線の現状維持に重点を置いていた。それが44年に変わる頃から、その方針が一転し、大陸打通作戦という大攻勢実施に変わっていく。

服部はこれを推進するために43年12月に一週間にわたる虎号兵棋と呼ばれる机上演習を実施している。これは陸軍内の方針を主戦派寄りに最団結させようとした意図で、見方を変えれば早期講和派への寝返りを防ぐ部内引き締め策であるとも見れる。

虎号兵棋では、46年にアメリカとの大決戦を行うとし対米決戦を後回しにし、その間に大陸の連合国軍の基盤を破壊し、太平洋方面の反攻に備えておくという方針であった。実際の戦況を楽観し、演習員に将来に希望を持たせることを強く狙ったものであった。

**ギリシア、警察に浸透するネオナチ

ギリシアの極右政党Golden Dawnは警察の一部も取り込み武装し、移民や政敵に対して攻撃をしようとしている。リーダーのNikos Mihaloliakosは逮捕され裁判を待っている一方で、その過激さはここ数ヶ月激しくなっている。政府はこれらの動きに対し強い忍耐を示している。Golden Dawnの支持率は国会に登場した際の11%から13%という支持率から7%に下がっているが、依然として第3政党である。支持基盤は若者や40歳以上で財政危機により職を失った人達と見られている。

infiltrate 浸透する

**Twitterでのトレード

Twitterhaは今年最も大きいIPOとされているが、そのTwitterのつぶやきを分析しトレーディングにしようとしている人達もいる。AP通信のアカウントが乗っ取られ偽情報を流した際、即座に株価が落ちたのはこれらのシステムによる。しかしTwitterのつぶやきは有用な情報もある一方で、ノイズが非常に多く難しい。ほとんどの銘柄は必要なつぶやきの数も少なくまた、GoogleやIntel、BOAといった銘柄のセンチメントは将来というよりも過去とリンクするものが多かった。PotersonやDerwentが設立したTwitterやSNSを利用するヘッジファンドいずれも閉鎖されている。

**偽ニュースリリース

スウェーデンのバイオメトリクスのFingerprint Cards社がSamsungに買収されるという偽プレスが発表され、一時株価は50%上昇した。しかしその後、市場の自動監視システムに見つかり、取引は中止された。ニュース自体もFingerprint社のPRから即座に否定された。

hoax だます でっちあげ
forge 偽造
dupe だます

**日経平均は210円高の14404円

東証一部の売買代金は2兆2708億円、マザーズは1669億円。米国の財政問題進展を期待した動き。