2014年5月21日水曜日

概説ラテンアメリカ史(2) ラテンアメリカ世界の出現 カトリック世界の完成 ブ ルボン改革


ラテンアメリカ世界の出現

人種別身分制度社会の現実は以下の通り。

1.イベリア半島人
2.クリオーリョ (植民地生まれの白人)
3.メスティソ (スペイン本国人と先住民の子)
4.黒人
5.奴隷
6.インディオ

混血は早くから進んだ。混血は白人とインディオの混血児のメスティソ、白人と黒人の混血児ムラートから始まった。それからメスティソとムラートの間の混血を含めて複雑で多様な組み合わせによる混血過程が進み、現在のラテンアメリカ人が出現した。

メスティソの数は級数的に増えたので、やがて人種的区別ではなく、文化的区別へと変わった。白人の父に引き取られたり、スペインの生活様式を身につけた場合は白人扱いを受けるようになった。

メスティソは一般に、白人至上主義の植民地社会では信用できないものと見なされた。特定の地位や職業につけないといった差別が生まれ、社会の中枢に入り込めなかった。商業や職人の世界では親方にもなれなかった。多くのメステイソはムラート同様に都市社会の下層民衆になり、農村では大農園の管理人の地位に留まった。

しかし植民地末期には数でも白人を凌ぐようになり、1795年に出された『格上げ恩赦令』によって白人の資格をお金で買うことができるようになった。

カトリック世界の完成

征服の時代が終わるとカトリック教会の活動の主流は先住民への布教から、スペイン人やポルトガル人社会への君臨へと移り、伝道師に代わり司祭をはじめとする教区付き聖職者たちが大きい影響力を持つようになった。

教会は、十分の一税、初穂料、信者から寄進される動産と不動産、修道会に入る際の持参金、教会不動産の運用、植民地社会における実質的な金融機関の役割など莫大な資産を所有するようになった。メキシコの場合はカトリック教会は領土の半分を所有するに至ったという指摘もある。

正式な結婚をせずに家庭を営む層が多かったのも、結婚の手続きが教会の管轄下にあり、教会に支払う費用が収入の数年分にあたったのが一因。

しかし1767年に王権の強化を目指したカルロス三世によりイエズス会は全てのスペイン領から追放された。

ブルボン改革

18世紀初頭から衰退するスペインの復興を目指し『ブルボン改革』が行われた。目的は効率の良い中央集権、貿易の自由化及び産業の育成政策、植民地防衛の強化などである。

ブルボン改革により各地の経済は活性化され、植民地社会に大きな変化が起き新しい文化も育ち始めた。しかし同時に『第二の征服』とも呼ばれるように、植民地政策の強化は植民地を本国にいっそう従属させることになった。

ブルボン改革では新たに2つの副王領が設置された。現在のコロンビアの首都サンタフェ・デ・ボゴタに副王朝を置く『ヌエバ・グラナダ副王領』とブエノスアイレスに副王庁を置く『ラプラタ副王領』である。

徴税の強化は『インテンデンシア制 監察官領制』が導入された。本国から派遣された監察官は、行政、財政、司法、軍事の4つの権限を有し、必ずしも副王に従属しておらず、重要な問題については直接国王の命令を仰ぐことができる独立性を持っていた。

インテンデンシア制は、役人の汚職と腐敗を減らし、税収を増やし成功した。しかし他方では厳しい徴税を行ったため各地で住民やインディオの反乱を引き起こした。

植民地の防衛問題では1777年に民兵制を採用した。民兵制は植民地社会の黒人とインディオを除く全ての成年男子に門戸を開いた。その結果、クリオーリョだけでなくメスティソ、ムラートのような混血にも社会上昇の道が開らかれることになった。

19世紀に入って独立運動が勃発したとき、独立派の軍事指導者の多くはこの民兵出身であった。

貿易の自由化は2つの目的があった。1つは外国による密貿易を表面化させて徴税すること、セビリアの特権商人による独占をスペインの他の地域にも解放すること。1765年から順次行われた。

貿易の自由化により植民地各地の貿易活動は著しく活発になった。メキシコの場合、1740年代にベラクルス港を出た船が222隻であったのに対して、1790年代には1500隻となっていた。

しかし条件付きで中立国の船がスペイン植民地との貿易に従事することを認めたことは、他国によるスペイン植民地への参入を招き、スペインの対植民地貿易の急激な衰退の原因となった。