2014/05/01

ソクラテス以前以後(3) プラトン ソクラテスとピュタゴラスの融合


■要約

プラトンはソクラテスの希求切望とピュタゴラスの数学を共に用いて、外的世界を含む体系的世界解釈を行った。

プラトンの『イデア』や『理想』と呼ぶものは絶対的に定義されるものであり、真理と実在は常に我々の魂の中にあるが、学びや真理の発見を経ないと思い起こされないとした。

プラトンは魂が身体を越えて永遠不滅の本質であるとし、宇宙体系理論まで拡張され、ひとつの宗教の様相を呈した。

■プラトン

ソクラテスが死んだときプラトンは28歳くらいであった。

プラトン主義は終始一貫して精神の希求切望というソクラテスの新しい道徳だったが、それに加えてソクラテスが行わなかった体系的世界解釈を行った。それはソクラテスが背を向けた外的自然の全領域を包括する。

プラトンは法律習慣の全体が驚くべき速度で粉々になっていく時代を目撃していた。ソクラテスが巻き込まれた裁判と死などがあった。

どうしたらアテナイの道徳生活が新たな基礎の上に回復されうるか考えた。彼のみつけた答えは、知を愛する人々が王となるか、あるいは王たちがなんらかの神のおぼしめしによって知を愛する者となるのではない限り、人類は決してもろもろの悪からの休息を見出すことできないだろう、というものだった。

『正義』という言葉はさまざまな時と所で正しいと呼ばれる様々な事柄とは全て独立に、ひとつの普遍的な意味を持っている。この絶対的意味は定義されうるし、知られうる。それがプラトンが『イデア』とか『理想』と呼んだものであって、事物の本性のうちに恒常不変なありかたを保ち、いかなる集団や個人の恣意的な立法も及びえぬところのものである。

純然たるプラトン主義は、ソクラテスとピュタゴラス派に発する流れがひとつに合流した地点から始まる。

プラトンはソクラテスからは人生の諸問題が希求切望の道徳と恒常不変な完全性の理想の追求によって解決されることを学び、ピュタゴラスからはこの考え方がいかにして人間的関心の領域を超えて全自然を包括するような、そして『パイドン』のソクラテスが期待したような学問的視野の変換を成し遂げるようなひとつの理論体系に拡張されるうるかを学んだ。イオニアの物資論とは違って、プラトン主義は自然の扉をあける鍵を始元ではなく終極に求める。

ピュタゴラスの物理科学を解く鍵は数学のうちにあるという発見は、哲学的思索の幼年期に始まって、いまもなお科学の指導原理として役割を果たしているところの天才的直感のひとつである。

次にピュタゴラスは、自然という大宇宙から人間という心身という小宇宙に向き直って、身体の完全さ、つまりその美しさ、強さ、そして健康というものが物資的諸要素の調和に依存するものであることを得た。そして彼の時代以降、ギリシア医学の理論と実践の大部分、治癒とは病気のために乱された均衡もしくは比例関係の回復であるという原理によって支配された。

正義の定義の探求を開始するとき、われわれは探している当のものをすでに(ある意味で)知っていたはいけないのだろうか。だがもし知っているとすればどうしてそれを探す必要があるのか。

完全なるイデアについての知識と、そして実に真理と実在についての全知識は常に我々の魂そのものの中に備わっているというのが想起説によるその回答である。その知識はそこにある。しかしそれは隠れていて意識されないのである。『学び』あるいは真理の発見と呼ばれているのは、この隠れていた知識が思い起こされて意識にまで高められることに他ならない。この記憶の内容は個人的なものではなく、全人類において同一であり、そしてそれは感覚的経験のなかから抜き出されたり、漉しだされたものでは決してない。

『パイドン』を書くに至って、プラトン自身はすでに魂が身体の死をこえて存続するのみならず、永遠不滅の本質であることを確信していたのである。プラトンはまた道徳理想と数学的知識の対象とを含むイデアの世界を既に発見していた。

ソクラテスの道徳は、ピュタゴラス派の影響のもとに再解釈され、宇宙の体系的理論までに拡張されて、いまやひとつの宗教となった。


**取締役はアクティビスとの声を聞くべき

1980年代と違って現在のアクティビスとは非常に良く勉強をしているので、取締役会は彼らと争う前に良く聞いた方が良い。コンサルタントも会社を彼らから守る方法として良く聞くことをあげている。アクティビストのファンドは750億ドルを運用するに至り、これにレバレッジを効かせればAppleやP&Gといった大企業であっても容易に株を集めることができる。大企業だから守られているというのは既に過去のものになっている。

**人間の不合理を回避する

世界最大のヘッジファンドMan Groupではトレーダーに最高の環境を用意するソフトウェアの導入を決めた。ダニエル・カーネマンの著書にもあるとおり人間には直感と演繹的推理がある。運用の世界では後者であるべきだが、実際は前者で行っている場合が多い。このソフトウェアは後者を使うような環境を作成してくれる。これは人間の不合理性をヘッジしているとも言える。