2014/04/30

ソクラテス以前以後(2) ソクラテス 精神的完成を希求切望する道徳の発見


■要約

・ソクラテスは自然学を根拠がない(吟味できない)、人生に役に立たないとして批判した。

・ソクラテスは人間の生き方が究極の関心になるとし『人生の終極目標は何か』という問いを立てた。

・ソクラテスは『魂の完成』が人生の真の最終目的であるとした。

・ソクラテスが評価されるのは、新たな道徳の源泉は魂そのものの中にあるとした点である。

・背景としてはペロポネソス戦争により社会道徳が混乱し、伝統的慣習から個人を独立させる動きがあった。

■ソクラテス

ソクラテスは当時行われていた自然についての思索を二つの根拠から拒否した。

1つ目は自分達の話すことが真実とは知りうるはずがないのに、自信たっぷりに教えている人々の話を信じようように求められた時の反論である。かれらはまるで自分達がそこに居合わせ目撃したかのように確かな口ぶりで語っていた。しかしそのような理性のつじつま合わせはは神話を作り出す想像力と同じくらい危険だとした。

そもそも何を知る事ができて何を知る事ができないか、そして根拠が吟味されないまま知識を装うことがどれほど危険か。

2つ目は自分自身と正しい生き方の知識について役立たないということだった。自然学は過去を説明し現在を描写したが未来についてはなんら格別の約束も与えなかった。

ソクラテスは人間の生、すわなち我々の生きる目的こそが究極の問いとなる領域に関心を集中することによって道筋を整えた。

『人生の終極目的とは何か』という問いは、今日と同じく投じもまた、問われることの稀な問いだった。

金銭は人生の目的ではないのは明らかであり、人間的な幸福とはという問題が浮び上ってくる。

ソクラテス以後この『幸福とはなにか』は古代の諸学派によって論争された主要問題となった。

・幸福と快楽を同一視する
・社会的成功や名誉や名声だとする
・知識や知恵

とおおざっぱに言って三つに分かれた、

ソクラテスは『魂の完成』という言葉を使った。自知、すなわちわれわれ各人の内にあって、それの完成こそが人生の真の終極目的であるところの自己ないし魂の認識と呼んでもいいかもしれない。

ソクラテスが最高に偉大な哲学者のうちに数えられるべきなのは、じつこの意味での魂と、精神の希求に基づく道徳とを彼が発見し、それまで行われていた社会的強制の道徳にとってかわらせたということによるのである。

これには時代の影響もある。ギリシア社会においては前五世紀の最初の四半世紀をペルシア戦争の後に、個人が自分自身を社会的集団から、すなわち都市とその伝統的慣習から引き離そうとうする闘いが、驚くほど明瞭に観察できる。その時までは、市民の行動を規制しようとする権力の要求に公然たる挑戦がなされたことはなかった。

新たな道徳の源泉は魂そのものの中にある。それは精神的完成を希求切望する道徳と呼ぶことができる。

ソクラテスの発見というのは、真の自己とは身体ではなく魂ということだった。そして魂という語でソクラテスが意味していたのは、善を悪から知り分けて、誤らずに善を選ぶことができる内観能力の座のことだった。

自己を知るとは、この真の自己を認識することを含意している。自己を吟味するとは、真の自己判断んを人間本性に内在し、身体及びその誘惑的諸関心に密接に繋がっている他の諸要素の誘導から識別するために絶えず必要とされる訓練である。

自己を治めるとは、その真の自己が他の諸要素を支配すること、すなわち魂の絶対専制制度である。なぜなら善と悪を判断するこの内なる裁判官は、また統治者であもあるからだ。真の自己はただたんに直感洞察能力であるばかりではなく、また意志の能力であもある。それは快楽やみかけの幸福を求める他のすべての欲求を凌ぐことのできる意志である、


**モイーズ解任

マンチェスターUのモイーズ監督は僅か10ヶ月で解任されることになった。ユナイテッドほどPRが必要とされる企業は英国にはないが、そのPRにモイーズは失敗した。後知恵になるがモイーズは構造的な問題を継承していた。ファーガソンの最後のシーズンはファンペルシーによってもたらされたが彼は怪我をしやすい傾向があり、今シーズンは活躍できなかった。また年齢のバランスも悪く、主力選手の年齢は32以上でまたその地位も高かった。

**次の主戦場はホームスクリーン

アジアではホームスクリーンの壁紙やアイコンなどを変えるアプリが大流行し、去年の10倍もダウンロードされている。しかしまだ数は3000万と少なく次の戦場となることが予想され、企業によっては既に買収を始めている。一方でホームスクリーンの個人情報に疑問の声も上がっている。企業はこの情報をもとにアプリ広告を出すことが可能だからだ。