2013年6月20日木曜日

グレート・ギャツビーを読んで考えたこと(3) 恵まれたという事を意識した人間の選択

**金融政策は現状維持

注目されたFOMCは現状維持。

**デロイト ニューヨーク州と和解

1000万ドルと1年の金融機関向けサービスの停止。Standard Charterdのイランとの取引を隠す試みを助けたとして。

**G8 対租税回避ルール作成で一致

各国の税機関が自動的に情報を共有する草案を採択。

**高騰する魚

国連食料農業機関の発表するFAO fish price indexが過去最高値を記録している。2004年を100とすると現在は160を越え推移。中国の旺盛な需要、漁獲量の低下、郊外化とスーパーマーケットの普及などが理由。

**日経平均は237円高の13245円

FOMCの結果、円安に振れたのでようやく回復局面か。大きなイベントも終わり夏相場も射程。


・父の忠告

美しいとされる最初の文の後にはこう続く。

「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」

そしてラストの手前に

『「僕には許すこともできなかったし、好きになることもできなかったけれど、少なくともトムにとっては、自分のなした行為は完全に正当化されているのだということがよくわかった。

全てが思慮を欠き、混乱の中にあった。トムとデイジー、彼らは思慮を欠いた人々なのだ。いろんなものごとや、いろんな人々をひっかきまわし、台無しにしておいて、あとは知らん顔をしておくに引っ込んでしまう―彼らの金なり、測りがたい無思慮なり、あるいはどんなものかは知れないが、二人をひとつに結びつけている何かのなかに。そして彼らがあとに残してきた混乱は、ほかの誰かに始末させるわけだ……」

彼と握手をした。握手を拒むのも大人げないことに思えてきた。

「僕はふとこう感じたのだ。自分が話している相手は、子供みたいなものなんだと。」』


・恵まれた条件を意識する事

恵まれた条件1

carelessである事すら認識できない人 ではないという幸運

恵まれた条件2

ギャツビーの喪失を経験できた事 そして喪失を喪失として認識するできること

1の条件を自覚できてしまうとトムやデイジーは単に恵まれなかった人という事になる。だからニックは苦悩する。この人達、つまり子供を突き放すのか、それとも面倒を見るべきなのかと。

ニックは今後この問題を考えて行く事になるだろうが、ほぼ第一感として面倒を見るという結論になるのが解っているはずである。定義からして、見捨ててしまうのは子供になってしまうからだ。

したがって最後にトムと握手をしたのは、ニックの今後を象徴していると言える。単なる物分りの良さとしての握手ではない。

2の条件も大切で、仮に1の素地があっても喪失をという経験を経ないと、2をはっきりと確信、体感する事はできない。ぽっかり具体的に空いたからこそ前景化してくる。

・ロールズの正義論

上記したのはロールズの正義論で提起されている、努力できることそれ自体も環境や偶然の産物である、という事に通ずると思う。努力を思慮と読み換えると

思慮する事ができるのは自分のおかげとするなら

carelessな人々を突き放す

思慮する事ができるのは環境や偶然性のおかげとするなら

carelessな人々の面倒を見る

ということになる。

ただ恵まれていた、という事をを自覚した時その人間は「偶然に巡り合わなかった人達にどう接するか」というテーマを立てる事ができないだろうか。

文頭に父の忠告として置かれた理由をそのように考えたい。