2013/10/01

昭和天皇独白録(2)



読んでみると昭和天皇ひととなりが見えてくる。ドイツとの単独不講和条約を律儀に守ろうとする点。立憲君主制の王としての振舞いを貫徹しようとする態度。二股を嫌う態度などいわゆるきっちりした人物である。変な話だが成熟した市民という見方もできるかもしれない。

一方で開戦時にローマ教皇庁に連絡を入れるのを指示したりと目線の高さも伺える。また終戦に際しては三種の神器を自分と引き換えにしても守らねばならない、と決意したというくだりは天皇ならでは発想だなと。

また天皇の立場から見てみると下に突き上げられた結果としての、大臣クラスの行動が良く見て取れた。開戦にしても終戦にしても、常にそういった若者を中心とするクーデターの匂い、勢い、があったのだと。

実際2.26や5.15も起こっている訳だし、それに社会主義や共産主義運動など色々な所で色々なエネルギーが充満していた時代だったのは体感しにくい。

安保闘争など映像を見ると凄いエネルギーだと思ってしまうが、あれよりももっと激しくもっと実行力を伴っていた時代。それが太平洋戦争とその前の時代であったということが良く理解できた。

ということで人口ピラミッドが気になってので調べたらあった。


若者が突出して多いことをユースバルジと言うが、量も比率も若年年齢層が拡大しく様が良くわかる。ちなみに2008年は下記。景色が違って当然である。




・敗戦の原因は四つあると思ふ。兵法の研究が不十分であったこと。孫子の、敵を知り、己を知らねば、百戦危うからずという根本原理を体得していなかったこと。余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したこと。陸海軍の不一致。常識ある主脳者の存在しなかったこと。大年の山縣、大山、山本権兵衛というような大人物に欠け、政略両略の不十分の点が多く、且軍の主脳者の多くは専門家であって部下統率の力量に欠け、所謂下克上の状態を招いたこと。

・日独利害関係の不一致は、外交上に於ける日本の敗因となった。

・東条内閣が低調となった原因。マリアナの失陥。余りに憲兵を用いすぎて、国民の感情を害した事。東条が余りに多くの兼職を持ち、多忙を極め、為に私の気持ちが東条を経て、全部の官吏に伝わらず、又東条の気持ちも国民に伝わらず、評判が悪くなった。

・元来東条という人物は、話せば良く判る、それが圧政家の様に評判が立ったのは、本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持ちが下に伝わらなかったことと又憲兵を余りに用いすぎた。実際は東条も後には部下を抑へ切れなくなったものと推察する。

・嶋田は東条と非常に親しかったが、海軍の方からは不評判だった。嶋田の功績は私も認める。彼が下僚から嫌われたのは余りに智慧があり、見透しがいいので、東条と話す時でも、充分議論せず、直に賛成して終ふ、その反面下僚に対して相当強硬であったことが不評判にした事と思ふ。彼の評判が余りに悪いので、私は東条内閣を生かすためにには嶋田を罷めさす可きだと話したので、東条も遂に彼も止めさせることにした。

・野村はナポレオンとは違うと(ヒトラーは)しきりに強弁したので、野村の人物は小さいと思った。

・首相の後継者は、第一に寺内、第二に小磯、第三に畑であった。寺内については敵が比島に迫りつつある際、これを呼び返すのは困ると言ふのでこれは止めた。畑は重臣側でも反対が多いので結局小磯という事になった。

・近衛は思想は平和的で、ひたらすらそれに向って進めたことは事実だが、彼は自分に対する世間の人気ということを余りに考えすぎたため、事に当たって断行の勇気を欠いた。

・鈴木首相と米内海相とは、政治的技術に於いては近衛に及ばなかったけれども、大勇があったので終戦の大事を成し遂げたのである。

・レイテの決戦の話だが、陸海軍の意見が一致しないのみならず、陸軍部内にあっても、山下と寺内総軍司令官と参謀本部の意見が纏まらない。山下は比島を守らうとする、恐らく之が一番良かっただろう。私は参謀本部や軍令部の意見と違い、一度レイテで叩いて、米がひるんだならば、妥協の余地を発見できるのではと思ひ、レイテ決戦に賛成した。

・レイテが失敗した時、国内には之が天下分け目の戦という言葉が流布されて、国民の士気は消沈した。統帥部は小磯に食ってかかり又参謀本部は現地の事情を知り抜いている現地軍に作戦を一任せず、東京から指揮する有様であった。

・一度何処かで敵を叩いて速やかに講和の機会を得たいと思つたが、独乙との単独不講和の確約があるので国債信義上、独乙より先には和を議し度くない。それで早く独乙が敗れてくれればいいと思った程である。

・参謀総長及軍令部総長の上に一人の最高幕僚長を設置しようという案が考へられたが、海軍側に相当反対があった為、陸軍側では案の実現を容易ならむる為に、幕僚長は海軍より出すべしという意見をいって来た。結局総理大臣が最高戦争指導会議に出席して統制をするということでけりが付いた。

・米内は海相に留任したが、陸相は阿南がなった。当時杉山を排斥する空気は陸軍省にも、参謀本部にもあり、賀陽宮も三笠宮も、之に動かされていた。

・6月8日の御前会議。各般の事情を総合して戦争はもう出来ぬと判断されているにも拘らず、豊田軍令部総長と参謀次長とが勝利疑いなしとして戦争を継続主張した。

・豊田は賛成できぬ人物である、強がりを許り云ってくる、かかる人物があるから、陸海軍不一致になるのである。米内の考へは豊田は若い者が推挙してくるから、彼の力により若い者を抑へて、平和に持っていこうといふにあった。

・決戦師団さえ、武器が満足に行き渡っていないと云う事だった。

・皆講和したいと云う、然し誰も進んで云い出さない。

・どうも政府も軍人も二股をかける傾向があるのはよろしくない、この場合鈴木だから、隔意なく思ふ事が云へたのだ。

・講和の仲介にソビエトを選んだのは、それ以外の国は皆微力であるから、仲介に立っても英米に押されて無条件降伏になる怖れがある、ソ連なら力もあるし且中立条約を締結して居る情義もあるので、この二つの理由からである。

・領土を削られることは強硬論ともいえども余り問題にしないが、国体護持、戦争犯罪人処罰、武装解除及保障占領の四点が問題となった。軍人達は自己に最も関係ある、戦争犯罪人処罰と武装解除に付いて、反対したのは、拙い事であった。

・敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなくその確保の見込みが立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った。

・天皇の国家統治の大権云々と修正したが、米国ではその意味が判らず、連合国の立場は欺くの如しと云って来た。

・豊田軍令部総長、梅津参謀総長、阿南陸軍大臣の三人は国体護持が出来ぬといひ、東郷外務大臣は出来るという。

・私は皇族を除く永野、杉山、畑の三元帥を呼んで意見を聞いた。三人共色々な理由をつけて、戦争継続を主張した。

・鈴木、平沼の私邸も焼かれた、平沼は陸軍に巧言、美辞を並べながら、陸軍から攻撃される不思議な人だ。結局二股かけた人物と云うべきである。

・開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下に於ける立憲君主として已むを得ぬ事である。若し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制君主と何等異なる所はない。

・陸海軍の兵力の極度に弱かった終戦の時に於いてすら無条件降伏に対してクーデターの様なものが起こったくらいだから、若し開戦の閣議決定に対し私がべトーを行ったとしたらば、一体どうなったであろうか。

・私が若し開戦の決定に対して、べトーしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局凶暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨時が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になったであろうと思ふ。


以下は注記

・天皇もまた、筋道を通し、責任ある政府や軍部の意見だけを聞こうとする一途な性格であった。

・最高悪霊長を誰にするかは、国家を完全に乗っ取るための第一歩として、邪魔になる海軍を抹殺してしまおうという陸軍の意図によるものだ、とする米内海相・井上次官のコンビの猛反対で具体化しなかった。

・鈴木貫太郎が首相になったのは77歳。昭和天皇は44歳である。鈴木は昭和4年1月から11年末まで、侍従長として8年間も天皇の身近にあった。天皇はこの老臣の毅然たる風格を殊のほか好んでいた。

・X条項とは、鈴木陸相の強い主唱のもとに、最高戦争指導会議六人、首相、外相、陸相、海相、参謀総長、軍令部総長だけが、五月中旬の三日間に、超極秘会議をひらき、徹底的に論議してきめた秘密国策をいう。1.ソ連の参戦防止、2.ソ連の好意的中立の獲得、3.戦争終結にたいしソ連を介して有利な仲介をさせること。この三つの段階的目標をもって、対ソ外交を開始するということである。そして6人以外だれにも知らせることのないことを、かれらは約した。もちろん昭和天皇にもこの時点では報告していなかった。

・昭和天皇が、その顔を和平にしっかりと向けたのは、20年6月中旬であった。大本営の強気の報告がウソで固めてあることを、天皇は知らされたのである。

・南原教授を中心とする七人の東大教授による和平工作は、分析と構想においてすぐれたものであった。とくに、終戦は天皇の裁断をあおいでこれを行い、終戦に関する詔勅を発布する事によって、決定を内外にたいして明示すること、など、その後の敗北までの極めて現実的な足どりが、そのまま構想されている。

・subject to する。陸軍は隷属すると約し、外務省の、制限の下におかれるという苦しまぎれの約に猛反対、ふたたび混乱を招いた。

・宣戦あるいは講和の権は明治憲法によって定められた天皇大権である。


**伊首相、議会のサポートを求める

イタリアの5ヶ月になる連立政権が危機に瀕している。ベルルスコーニ元首相の上告は来月にも棄却されるが、それを受け消費税を上げるLetta政権を引き下ろすために総選挙を求めている。EUで3番目の規模のイタリアは3%の赤字財政を守れるかが注目されている、

final appeal 上告

**イギリス、サイバー攻撃部隊育成を宣言

サイバー部隊育成し、防衛だけではなく攻撃の能力も備えることを宣言した。これに対し、専門家からは公言するのは他国も対策を取るので安全性は却って落ちる、なぜこのタイミングかなど疑問の声が多く挙がっている。

**CLO発行、2007年来の高水準

collateralised loan obligationsはローンにレバレッジをかけ異なる価格やグレードに分けて販売する。Fedが低金利政策をとっているので年金基金、銀行、保険会社などが買い求めている。AAAのものは利回りが低いのでよりリスクの高いものを求めているようだ。しかしそれも需要が旺盛なのでスプレッドもタイトになっているという。