2013年10月17日木曜日

主戦か講和か(5) 44年6月 早期講和派と東条内閣 サイパン陥落、ノルマンディー上陸


酒井が要注意人物であったのは、クレマンソーの大戦回顧録を訳しそれが幅広く読まれていたから。この本は第一次世界大戦中に降伏手前だったフランスにおいて、老宰相クレマンソーが自ら陸軍大臣を務め、士気沈滞し腐敗していた陸軍省を粛清することによって蘇えらせたという内容で、これが日本も陸軍中央部を粛清すれば挽回できるという考えに繋がったからである。

高松宮は昭和天皇の実弟で海軍の軍令部の作戦課に勤務していた。酒井の太平洋と欧州の戦況に関する報告は細川を通じて高松宮に伝えられていた。当時の陸軍には主要国以外からも様々な情報が集まっていた。その中で、主戦派は楽観的な情報、早期講和派は悲観的な情報に目を奪われていたので、欧州に関する認識が異なるのは当然であった。

近衛は総理大臣であった時よりも、軍事に関して言えば下野してた頃の法が情報通になっていた。酒井の情報提供は、近衛グループという軍部外からの終戦工作に一役かっていたが、同時に戦争指導課の松谷とも連携していた。

酒井は松谷にドイツ敗北に備えた研究方策の実行を薦めており、松谷も酒井から教えをうける立場にあったという。44年2月に参謀総長を兼任した東条が松谷に命じた対ソ外交の骨子は、米ソ離間の観点からソ連を枢軸国側に引き込むという従来型の構想だったが、松谷は最大限の譲歩をして国体護持だけを条件とした講和であった。

44年6月に連合軍はノルマンディーに上陸をし、イタリアではドイツ軍がローマより撤退した。太平洋ではアメリカがサイパンに上陸。そしてマリアナ沖海戦が行われVT信管やレーダーなどの前に日本軍は空母3隻、航空機395機を失った。サイパンは7月に陥落し、日本本土はB29の爆撃圏内に入った。

しかし44年4月に服部は東条に対し、マリアナの防衛は絶対の自信があると述べていた。また服部の部下で開戦時から作戦課員の晴気誠少佐(当時32歳)は普通正面1kmあたり2.3門の砲兵のところを5門おいてあるから大丈夫であるとか、サイパンを送った師団の装備は部内最優秀の満州第一線部隊の倍にしてるから自信があるとしていた。しかし送り込まれた第四十三師団は43年7月に編制された戦闘経験の少ない師団で、サイパンに入ったのも5月に入ってからのことであった。

ちなみに服部も松谷も陸軍士官学校の主席ではないが、辻は36期、井本は37期、高瀬は38期、高山は39期の主席、瀬島は44期の2位と作戦課には陸軍士官学校の成績優秀組みが揃っていた。

サイパン敗北直後、服部は海軍の山本作戦課長に対し、今度の戦いで陸軍の装備の悪いことが本当に良く解ったが、今からではもう間に合わない、と述べた。服部の頭に敗れるという思いがよぎったのもこの時が初めてだったのかもしれない。

44年6月に戦争指導班は、昭和十九年・二十年戦争指導考察上ノ情勢推移研究資料甲・乙案を作成している。甲案はドイツが第二戦線の維持に成功した場合であり、乙案は第二戦線が不利に展開した場合の想定研究である。

甲案は主戦派へのアリバイで乙案が本線であった。この時期戦争指導班はフィンランド戦線に注目していたが、ルーマニアの油田と並び、北欧はドイツにとって重要な鉄鉱石供給地であったから。しかし8月にはルーマニアは枢軸国から離脱、9月にはフィンランドもソ連と休戦協定を結んだ。

44年6月にはいよいよ東条内閣打倒工作が近衛、細川、富田、高村といった近衛グループによって促進された。東条にサイパンの敗北の責任を取らせ、近衛ら重臣が東条内閣を倒し、後任の新首相に戦争終結を上奏させようというものである。

44年7月に酒井は近衛に対し参謀本部や陸軍の大勢が講和に積極的であるかのように発言しているが、これは陸軍の状況をそう見せかけることによって、一挙に戦争終結へと移行させることを意図したブラフともいえる発言で、本当のところの陸軍の大多数は、主戦論よりも一歩引いた戦争継続と早期講和の中間の立場であった。

なお近衛や酒井、岡田といった面々には憲兵がずっと見張りをしており、うかつなことができない状況下になっていた。

この頃の早期講和派は、松谷-重光-加藤という外務省ライン、松谷-松平という宮中、松谷-高松宮という海軍・皇族、中軸となる松谷-酒井という陸軍同士、酒井-近衛という重臣・民間、酒井-高松宮という海軍・皇族という連携関係が構築されつつあった。

こういった部内や部外の準備が整ったとみた松谷は自信を深め、44年6月真田作戦部長と秦参謀次級次長に対し、終戦の条件は妥協和平と屈服和平の場合に分け、戦況最悪の場合は国体護持だけに止むべきで、対ソ外交を通じて対米英外交の基礎を作るべきだと進言した。

これに対し、真田は趣旨には同意したが印刷は不可、秦は東条と後宮高級次長に具申をするのは待つようにと厳命された。しかし今が勝機と見た松谷はこの二人に具申をした。後宮は何の反論もしなかったが、東条は実に嫌な顔をして何も意見を述べなかった。

当時、陸軍では終戦促進の動きが蔓延すると部内の収拾がつかなくなるため、あからさまな終戦工作が禁止されており、この種の動きをしたものは左遷されるのが一般的であった。

東条は松谷を支那派遣軍に追いやった。しかし南方激戦地でなかったのは松谷に対する支持者があったのを示唆している。左遷は捨て身の意見具申もさることながら、外部の終戦工作もいつのまにか東条の耳に入り、怒りを買って左遷されたようである。また酒井も松谷の終戦工作一味とされ、召集解除とした。

東条は後任に作戦課兼務で種村を就任させた。早期講和派の中心を交代させることで、早期講和派を解体し、戦争指導班を従属させ、部内の戦争思想の統一を図ろうとしたのであった。なお種村も早期終戦について東条に具申したが、処罰は行われなかった。このことから人事異動の目的が早期講和派の主要人物を外すことに目的があったことがわかる。

しかし結局44年7月に東条内閣は退陣し、小磯内閣となった。東条は小磯内閣の陸軍大臣にだけでも踏みとどまろうとするが失敗した。これにより背後の支柱をなくした服部に対する期待感は薄れていく。一方の松谷は11月に陸軍中央に復活、酒井も民間に下って活動を再開させた。

44年7月にはヒトラー暗殺計画が実行に移され、ドイツの政権基盤が揺らぎつつあることが露呈し、陸軍中央でもドイツ敗亡近しの印象が強くなった。このことは多くの軍人が、ドイツを頼みとしていた主戦派から一歩離れ、中間派化する契機となった。


**元は未だドルには変わらず

イギリスのOsborne財務相は自らが存命の間に元はドルと同じようなステータスを得るだろうと述べた。WTOによれば中国は世界の輸出の10.4%、輸入の9.4%を占める。米国は輸出は8%、輸入は12.3%である。元を準備通貨として使用しているのはマレーシア、ナイジェリア、チリであり、人民銀行は24カ国と通貨スワップを結んでいる。しかし準備通貨の62%はドルであり、その他の通貨は3%に過ぎない。また元を決済通貨として使用しているのは、長年の規制もあり10社しかない。

exchequer 財務

**アイルランド、抜け道を規制

アイルランドはAppleやGoogle、Adobeなど多国籍企業が米国とアイルランドの税制差を利用して税金を2%以下に抑えていたDouble Irishのスキームを規制するとした。これは今年米国にタックスヘイブンと呼ばれ、またEUがオランダ、ルクセンブルグなどと共に税金の調査をするといった圧力に屈したことになる。

amend 改正する

**AmazonとHTCの新デバイスの噂

AmazonとHTCが2014年に新しいデバイスを出すとの噂がある。Amazonはコメントを出さなかったが、HTCは合同ブランドを出すことも考えているとしている。HTCはAppleやSamsungとの競争が激化しており、今四半期は赤字になると予想されており、また過去にもFacebookとのFacebook Phoneを発売している。AmazonはKindle Fireを出荷しているがこれはGoogleのAndroidのカスタムバージョンである。GoogleのNexusはAsusやLGとの共同開発である。

**日経平均は25円高の14467円

東証一部の売買代金は1兆3802億円。マザーズは2337億円。東証は非常に低い売買代金。マザーズは大きく盛り上がる。