2013年10月17日木曜日

主戦か講和か(9) 戦後の主戦派と早期講和派 警察予備隊 朝鮮戦争


帰国した服部は、その能力や経験に目をつけたGHQの計らいで公職追放にならずに復員省史実部に勤務し、再軍備を主導する機会をうかがっていた。

服部の再軍備積極論は並々ならぬもので、その実現のために同志を募り、47年末、西浦、堀場、原、井本、種村、橋本など旧大本営参謀約10名前後のメンバーが終結した。これがいわゆる服部グループで、彼らは本格的な計画立案のための作業を開始していく。

戦争当事者の立場であった彼らは、実際の再軍備過程で戦前の経歴が影響することをそれほど意識していたようには思えない。実情を把握できないまま、服部グループに属した者もいたように思える。

当初、旧陸軍軍人は、戦後吉田首相の最高軍事顧問を務めた英米派の辰巳栄一元陸軍中将のもといくつかのグループにまとまっていた。

服部グループはGHQのGⅡ(参謀第二部)の意向に沿った自分たちこそ再軍備計画の本流と勘違いし、日本政府(吉田内閣)ではなく、GⅡを唯一の頼みの綱としたために、他のグループからは孤立していた存在であったという。

また高山のように作戦課時代の服部の部下であっても、服部の誘いを断ってグループに属さず服部と距離を置く人物もいた。

GⅡは諜報、保安、検閲担当の部署であり、反共のチャールズ・ウイロビー少将が部長であった。GSは日本の民主化政策を任務とした部署で、弁護士出身のコトニー・ホイットニー准将が局長であった。つまりGⅡが再軍備積極派でGSが再軍備消極派という路線の相違があった。

服部はウイロビーに目をかけられ、戦時中、参謀本部の要職にあったという経歴がありながら、米ソ冷戦という国際情勢を背景に、比較的自由に再軍備計画を案出することができた。

松谷は49年4月頃、下野していた状態であったが、数人の同志と共同して国防に関する研究を始めており、これが吉田首相の目に留まった。松谷は駐英武官補佐官であった時に、吉田は駐英大使で面識があったし、戦後も復員省法務調査部係官だった松谷は、GHQと交渉する際、吉田と面会している。その後、下野したが、松谷と吉田との関係は絶えることなく続いていた。

50年6月に朝鮮戦争が勃発。マッカーサーは朝鮮戦争に出動した米軍の穴埋めに、警察予備隊7万5000人を組織することを決め、それを日本政府に命じた。

松谷は服部グループの動向に敏感であった。朝鮮戦争が勃発してまもない50年8月、服部が警察予備隊の首脳として採用される可能性が高いとの情報があったが、松谷は岡崎官房長官と面談し、服部の予備隊幹部採用には慎重になって欲しいと進言した。辰巳もこれに応え、服部グループの人事選好は慎重にするとしている。

また服部が予備隊入りを意図していることは、軍関係者ばかりではなく、GS、早期講和派、当時の警察官僚から猛反発を受けていた。理由は、当然の事ながら服部がアジア太平洋戦争を主導した大本営作戦課課長であった経歴だった。服部の入隊は拒否された。

戦前に内務省に勤め、戦後は国警東京警察管区本部刑事部長だった後藤田正晴は、服部の入隊拒否について、服部が総隊総監でくるということは、それにくっついて旧職業軍人がみんな入ってくるということなんだ、それじゃ旧軍隊の再来となる、そういう政治判断があった、と語っている。

松谷がこのように服部採用に反対する意見書を提出できたのは、吉田茂のブレーンであった辰巳栄一の傘下にあったからだ。松谷の反対意見書は、元主戦派と元講和派の旧軍部内の政治的対立構造が露呈したものであった。

ちなみに旧陸軍には、幼年学校-陸軍士官学校-陸大というコースと、中学校-陸軍士官学校-陸大というコースがあり、前者が作戦課や軍務局などの中核部署を歩むことができる傾向があった。そして服部は幼年学校出であるのに対し、辰巳や服部は中学校出であった。幼年学校派閥が要職を独占するの対し、中学校出身者が反発することがあってもおかしくなかった。つまりソリがあわないということである。

結局、服部が排除された結果、警察予備隊は警察官僚(旧内務官僚)が中心となった。服部はその後、巻き返しを図り、自らの採用に反対した警察官僚に対して対抗心を燃やしていくことになる。服部はこうして早期講和派に加え、警察官僚をも敵に加えたことになる。

52年、松谷は警察予備隊入りをした。そして服部グループのメンバーは自衛隊入隊の際に服部グループからの離脱を誓わされた。また服部との関係を保ったまま入隊したメンバーは、自衛隊にあって冷ややかにみられた。

その後、松谷の在職していた戦争指導課の6人のうち4人は総監クラスに登りつめた。戦争指導課での活動が経歴と評価されたからであろう。旧主戦派のメンバーの大概は辰巳に気に入られるはずもなく、総監クラスまでは栄達できなかった。

まとめると、田中新一、真田、服部、櫛田、辻、高瀬、瀬島といった主戦派の面々は入隊できなかった。

**中国紙、当局に編集人の返還求める

New Expressは一面にPlease release himとヘッドラインをうった。拘束されたChen Yongzhouは中国第二位の建設企業でHunan政府が一部持っているZoomlionが売上を誤魔化していたと主張していた。中国でこのように当局訴えるのは異例出来事である。

**Appleのソフトウェアの無料化の意味

Appleはnumbers,Keynote,iLifeを無料化した。PC市場ではMicrosoftのExcelなどが有料であってもシェアを占めているが、Appleは統合された環境を提供しようとしているようだ。ハードウェア投資はソフトウェア更新を問題なく行えるようする。スマートフォンではAndroid、PCではMicrosoftが敵である。

**データが不整備なアフリカ

ガーナはGDP再計算をした結果、一夜にしてその規模が62%増加した。ナイジェリアも同様の計算中であり、40%の増加が見込まれている。しかし貿易量や税収は伸びている訳でもなく投資家は頭を悩まされている。アフリカ開発銀行によれば、国際基準にあうのは9カ国、19の国では10年前、8カ国は20年前の数字を使っているという。しかし投資家はアフリカは今後もっとも成長するセクターだと考えている。