2013年11月2日土曜日

描かれた戦国の京都 洛中洛外図屏風を読む(1) 歴博甲本


洛中洛外図が東京に集結しているということでお勉強。

日本の絵も海外と同様にコードがあるんだなとまず知ったのが大きい。主人が留守にしている表現とか、季節が散りばめられていること、建物の配置や発注者の意図などなど面白く読めた。

特に洛中洛外図は1500年代から江戸前期にかけての制作された作品ということで、登場人物に普段から馴染みのあることも大いに興味をそそられた。

主に細川氏を描いた歴博甲本が中心になるが、その中で細川藤孝の親や祖父の世代の話が出ていて、これはその後、時代が下って太平洋戦争終戦に奔走した細川護貞や首相になった細川護熙、近衛前久も近衛文麿とかに繋がっているのだなぁと思うと感慨深い。

床屋が出現したのもこの時期らしいが、その位置が角地にある理由やそれが同じく続いているという現象も面白く、鑑賞する際は是非こういった細かい面も見てみたい。

基本

・洛中洛外図屏風は江戸前期を中心に100点ほど現存するが、室町時代に遡れとされているのは4点。歴博甲本、上杉本、歴博乙本、東博模本。上杉本は保存も良く、信長が上杉謙信に送ったとして有名。

・洛中洛外図屏風が史料に初めて表れるのは朝倉本。1506年に土佐光信が作成。発注者は朝倉貞景。京都全体を描いた同時代の絵画や地図というのは洛中洛外図以前には見られない。京都のみならず地方でも商人を中心として都市の勃興が始まり、京都を全体として認識する視点が出てきたものと思われる。

・洛中洛外図の構図は右隻と左隻の二つの屏風かなり合わせて一双と呼ぶ。一つ一つの画面は扇と呼び、六画面なら六曲と呼ばれる。洛中洛外図屏風は六曲一双である事が多く、屏風の位置を示すときは、右隻第一扇のように表記する。

・京都の東側を描く右隻は、上が東、下が西、右が南、左が北になる。鴨川を見つけると解りやすい。左隻は上が西、下が東、右が北、左が南になる。

・洛中洛外図は四季絵の要素も持っている。左隻の右側は冬、左側は秋、右隻の右は夏、左は春となっている。ただし例外もある。


歴博甲本 1525年 狩野元信 細川高国発注

・会所の中で庇で顔を隠された人物がいるがこれは天皇など高貴な人物を描く際には、あからさまには描かず御簾などで隠した表現した。幕府で高貴な人物といえば将軍、ここでは足利義晴だろう。

・典廓とは細川家の分家。

・細川高国は細川邸の厩に描かれている。厩は当時の館では接客空間であり悪い場所ではない。こげ茶で地味であることからも、出家後の剃髪した姿であることが解る。

・細川邸の正面中央に座る若い男性は4月に家督を継いだ細川稙国。歴博甲本では彼を当主として描いたが、この年の10月に死去してしまう。歴博甲本はこの間に複数の手で工房で作成されたと考えられる。

・中心主題は細川稙国を中心とした政権と新たに建設された将軍御所。そう考えてみると、細川邸の細川稙国、典厩、足利義晴は絵の中でほぼ同一線上に並んでいる。この三者からなる政権を隠居した細川高国が後ろから見守るというのが、発注した高国の意図だと推定される。

・幕府の場所がなかなか決まらなかったのは、伊勢氏や大館氏などのいわば幕臣グループが、伝統的な幕府の場所である花の御所付近に固執し、細川氏エリアへの移転=京兆独裁体制の強化に抵抗したと考えられる。高国は香川氏などの細川の被官の武家屋敷があった細川邸北部を提供することにより、幕府を細川エリアへと誘致した。

・総合的に考えると、甲本に描かれた幕府の位置は現実のものと考えて良く、高国が自らの意志を貫いて実現させた、細川的幕府の姿であった。細川政元以来の京兆独裁体制のさらに推し進め、新たな御所を建設をするという形で幕府を懐に取り込んだ、高国の勝利宣言である。高国が稙国に家督を譲ったのは、まさに新御所の建設地が決定されたその翌日だった。

・建物の内部に誰も描かれていないのは、当主が外出して留守であることを示す表現である。

・畠山家は三管領のひとつであり、高国政権の有力な構成者。幕府門前に畠山氏が描かれているが、先頭の少年は先導役の小者、三番目は太刀持ち、二番目が当時の当主の畠山稙長となるだろう。

・稙長の右側には近衛氏が描かれている。風折烏帽子や顔が白く塗られていることからそう推定される。公家は参内するときは衣冠束帯のような朝服を着るが、武家を私的に訪問するときは、相手にあわせて武家の正装である直垂を着るのは理にかなっている。また馬が駐っているのは、幕府の門前ではたとえ関白であろうと乗り物にのるのは許されないという慣行を示している。

・高国は犬追者に造詣が深く左隻一扇に描かれている。船岡山は高国と大内義興が細川澄元を破った合戦であり、戦勝記念碑として書かれている。

・隠されたテーマとしては父と子。細川高国・稙国、細川尹賢・氏綱、三条西公条・実世・兼成、近衛尚道・稙家。次の世代へ継承すること、次の世代の繁栄を予祝することを意図していると思われる。

・扇は狩野家の家業で、扇を描く絵師として自らも登場している。なお元信の息子が狩野松栄、その子が狩野永徳。

・桂川河畔では三条西実隆(老人)、左が嫡男の公条、少年二人が孫の実世、兼成と推測される。この老人の前で舞う少年というモチーフは永徳の作品にも見ることができる。しかし時代が下るに従い、老人を祝福するというものから、踊る人物が中心になり、次第に動きが激しくなる。これは時代が中世から近世へと移ったことを反映しているといえる。またこの野外祝宴は歴博甲本のはただのピクニックではなく、実は月見の宴であると思われる。

・幕府の門前には三条家の息女が描かれている。これは高国にとって、新たな御所の建設と一体の、幕府の権威付けに不可欠なものだったに違いない。そしてこの屏風は三条の息女に贈られるものだったのかもしれない。一種の嫁入り道具である。ちなみに三条家では次の世代の女性が良く知られており、一人は武田信玄の、一人は本願寺顕如の正室である。

・この時代、三好長慶、朝倉義景、大内義隆など高国と同じように嫡男を失ってからおかしくなり、やがて滅亡した権力者が少なくないが、このことは変動の激しい時代において如何に権力の継承が難しいかを示している。このことは信長や秀吉にも同じ事が言え、社会があまりにも激しく動いているだけに、政権も容易に安定させることができなかったこを示している。

・床屋はこの時代に出現している。理由は二つ。一つは月代(さかやき)の髪型が一般的になったこと。町の構成員は身分的に上下のないフラットな関係なので、身分表象である服装や頭髪を同じにしておく必要があった。

・京都の町は向かい合う家同士で構成されていた。そして一番端の家は町の会所になることが多く、そこで床屋が営まれていた。洛中洛外図でもそれを確認でき、現在の京都のような古い町を歩いていると、角地に床屋をみつけることがある。

・歴博甲本の床屋ではまだ剃刀は使われていない。剃刀は本来仏具道具だから理髪には使わない。代わりに毛抜きが行われていた。剃刀が月代を剃るのに使われだすのは、洛中洛外図で言えば十七世紀初頭、江戸のごく初期と考えられる舟木本からである。また瓦も寺院にしか使わなかったので家の構造は貧弱である。このように歴博甲本に描かれた社会は、近世的原理にありがら、実態としては中世のあり方をとどめている、つまり近世の初発に位置しているといえる。

・神輿の形は四角だが、六角や八角のみこしが出現するのは洛中洛外図では東博模本からで誤りでない。実際に平安時代の年中行事絵巻では神輿は三角か四角である。

**米、飛行機でのガジェット利用緩和

これまで飛行機の乗客は離着陸時に全ての電子デバイスのスイッチを切ることを求められていたが、今回この規制が緩和されることになり、全てのフェーズでタブレットや携帯電話などの利用が可能になった。しかし電話やデータ通信はこれまで同様使用不可である。

**ECBに政策金利引き下げの圧力

EU圏の10月の年換算のインフレ率は0.7%とECBの目標とする2%から低い水準であった。原因としては米国が進める低金利政策があり、このままであると日本型のデフレになる懸念がある。またEUの回復が如何に脆く勢いのないものであかも示し、それは原油価格の下落も説明できる。中央銀行は利下げの圧力が高まる中、12月の会議までは待つとされている。

**Facebook、10代の支持下落

Facebookは10代の利用する時間が減り、また第二四半期と第三四半期にかけては10代の登録者は増えなかったと述べた。これに対して10代はEarly adopterで、インターネットがどこに向っているかの指標だとし懸念を示す人もいる。10代はSnapchatのように記録が残らないものに流れているという。また商品購入への影響力はTwitterがFacebookよりも大きいとしている。一方で、大事なのは18歳から49歳の層でFacebookはまだその層の支持を得ていると考える人もいる。Facebookは去年に比べて毎月利用する人は18$増加し、12億人になるとした。

日経平均終値:14201(-126)
東証一部売買代金:2兆2447億
マザーズ売買代金:1547億
最高値銘柄:Nフィールド
最高値銘柄数:4
最低値銘柄数:38
売買代金上位:ソニー(-11%) パナソニック 日立 ペプチド JT

S&P終値:1761
S&P売買高:2196186
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売買代金上位:AAPL FB AIG XOM FSLR ABX HPQ