2013年12月10日火曜日

ゆれる


ぐっとくる身につまされる作品なのは非常に現実的な作品なのだからなんでしょうね。邦画で更に現代だと描写の一つ一つが理解できるのでそれだけ身近に感じられ、そのぶん感情が大きく動かされるのかもしれません。

一番感じたのは、これは地方でなく東京が舞台だったらもう少し違った様相が展開されただろうなぁと想像するには難くないこと。

兄も父親の面倒を見ながらも、自分の力を試せたり色々な他の仕事を選べたのではないか。しかし舞台が山梨の郊外となると、その前段階として東京だったら発生しなかった精神的コストが発生してしまう。ここにこの物語の悲哀があるのではないかと。

思わず仕方が無いという感情が先行してしまう。小さい頃の映像であったように、弟に手を差し伸べてしまうような優しい兄は父親を見捨てて上京することはできないことも、智恵子が母親の失敗を見て失敗回避をずっとしていたら結局失敗していたという現実も。

選択肢というのはそもそもはっきりは見えないし、ましてやその結果を知ることなんてできない。仮に選択肢が見えたとしても、色々なものを考えるとAという選択肢とBという選択肢どちらを選ぶかなんて、ほんのちょっとしたことで変わりうる。

なんでこんなことになっちゃうのかなぁ。俺、わからないよ。

留置所の中で兄がつぶやきますが、はっきりとした選択らしい選択というよりは倫理とは言わないまでも漠然とした責任のようなものを感じていたくらいのがおそらくは当時の心境なのではないかなと。

そしてそれは決して責められるべきものでもないと思うんですよね。倫理的には正しい。だけど周りの現実はそれには報いない。それが辛い。

せめて従業員君が兄を慕っていたように、想ってくれる人がいて家庭でも構えていたらまた違ったんでしょう。その可能性も無くは無かったと思いますが、やはり地方になるとそもそも若者は都会に出て行ってしまうので、数自体が少ない。

そういう意味では東京一極集中と地方の荒廃という構造と、その中で生きていかなければならない人達という構図も心に残ります。

逆に言えば我々がこの映画でぐっとくるのは、都会に出て来てある種の地方や親族の切り捨てを行っている疚しさを描いているからなんでしょう。

弟の兄と繋がっていた細い線というのも、あまりにも良いところ取りすぎて、自己弁解のような気がしてしまいます。そういう意味では田舎から逃げたように、疚しさからも逃げていると言う事もできると思います。

本当にそう思っているなら、もっと頻繁に実家に帰ってやることがあったはず。でもまあここも兄と同じように弟も弱いとも言える部分でしょうね。やはりそれを具象化してしまう地方と東京の物理的距離や環境の差によるものが大きいと感じてしまいます。

最後の兄は、お前に家に帰ろうよ、なんていう資格があるの。勘違い甚だしい。それすらも解らないのかという表情だと思います。兄は前途に希望がある訳でもなく、誰からも評価されないし、父親とかももうどうでもいいや、という気持で都会に出て行くのだと思います。

これはある部分では弟が上京した時の感情と被る部分があるんでしょうね。ましてやその時は兄が父親を見てくれるという部分も甘える事ができている訳ですし。そしてその感情には若い頃は気付かないくらいならまだ良い方で、ひょっとしたら兄の事を軽蔑している可能性すらありますしね。。。

いずれにしても、誰かがやらなければやらないことをぼんやりとしながらも行った人をを評価せずに取り残すということは結局、ボケた父親を放置するという結果に繋がるのでしょう。それが個人主義の行き着く先といえるのかもしれません。寂しいものです。

人間ちゅうのは、いくつになっても、どんなに裕福になっても、見えねえものを見たと言っちゃ泣き、見えるものを見逃したと言っちゃ泣くことの繰り返しをするもんじゃ・・・泣きてえような気持ちをぐうっとこらえて自分の弱いとこ、人に悟られまいと、いかめしくして見たり、周りの者に反対に牙をむいてみたり、ますます卑しくなるんです


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