2014年2月20日木曜日

ショートプログラム

浅田真央のショートプログラムを見てあれこれ考えが飛んでしまい寝付けない。睡眠時間3時間でも今日はこのまま起きていることにする。

色々思うことはあるが、一番強く思うのは浅田真央の人生との折り合いの付け方は相当に難しいものになるだろうなぁという思いだ。

元々優勝を争うような選手でなければ好きなスケートをして、精一杯がんばったということで折り合いも付けやすく次の人生へと向うことができるのではないかと思う。しかし浅田は世間も自らも実績からしてもそれを少なくとも争う立場にあったので、そういった考えになるのは難しい。

ショートプログラムでも多少のミス、あるいはそれほど大きなミスをしなくても、金が取れなかったのであれば、それはそれで実力がほんの少し、それは大きいけれども、という納得の仕方がある。

でも今回の結果では違う。最初のアクセル失敗は仕方ないにしても、そのあとのコンビネーションが入らなかったことは必ず悔いに残るはず。ミスをしても次に引きずらないのも大きな実力の一部とは当然知っていても、どうしてもまともに跳べていればという可能性が残ってしまう。これが厳しい。

恐らく得点が発表される部分では放心状態だったのではないだろうか。今までの人生全てを捧げてきたものが、あの内容というのは悔いても悔いきれない類のものだと心中を察してしまう。

明日のフリーではとりあえずこれらは棚上げにして、逆にプレッシャーのない状況で良演技をするかもしれないがその先は長いだろう。周りとしては最悪の事態さえ警戒しておく必要があるのではないだろうか。自分が関係者だったらそうする気がする。

それからフィギュアスケートという競技の華やかさの裏には確実に残酷性があるとも感じた。オリンピックはどの競技も4年に1度だが、フィギュアスケートはランダム性が少し高めな気がする。

どの競技も文字通りそれ一本で生きてきた人達が争うが、そこに高いランダム性が加わるとこれはやはり残酷だ。掛け金が高すぎる。文字通り人生を賭けたものだからだ。我々はそれを前景化しないけれども、ほぼ間違いなくそれを感情的材料として消費をしている。

昔の剣闘士の試合のようなものを観ている観客なのだろう。それが悪いというのではない。ただそういったものも人間の要素ということなのだろう。

荒川静香のフィギュアスケートの本にこんな一節があった。

『良いときも、そうじゃないときもあって、色々な人と出会って、色々な経験をして、スケートをやっていてよかったな!これで終わりだな!』

そうふと感じることがあれば、それが競技生活の終わりのときなのだと思います。

これを改めて読むと、もし自分が浅田真央なら自分を納得させるために現役を続行せざるを得ない。そうでなければ辛すぎる。どこかで自らとの折り合うポイントを見つけるにはこれが一番現実的な方法なのではないだろうか。

いずれ彼女も自らを納得させる時が来るのだとは思う。そのとき彼女がどのように納得させたか、ということについてとても興味がある。

なんにしても他人事じゃないよね。。。


**クロス・ボーダー取引は2007年時から70%減

EUは金融危機まで海外への貸出を増やしていたがいまはそれを劇的に減らしている。エマージングマーケットは危機の時こそ流動性が枯渇したが、直接投資は安定していた。米国もEUと同じように海外への貸付を減らしているが、海外からの資金流入の受け皿になっている。問題は資金流入ではなく、極端に足の速い資金だ。

**マンU低迷の原因

ファーガソン退任後のマンUの成績が優れない。その原因はモイーズではなく、経営権を握るグレイザーファミリーの利益優先主義、あるいはプライベートエクイティのやり方にある。高騰する選手の給料や給料に対して上限を引き始め、そのお陰で財政は好転している。またすぐに結果を出そうとはしていない。そこがファンとは違う。

クラブとは何であろうか。グレイザーファミリーによればビジネスだ。ファンにとっては栄光だ。ファーガソンはその二つを同時に成し遂げた。マンUは近いうちにどちらかを選ばざるを得ないだろう。

**米国上場の中国株は危ない

米中間での会計監査の問題がある。またヘッジファンドによる中国企業の不正指摘と空売りもある。

**アベノミクスの現状

貿易赤字が急激に拡大しているが、これは原発停止や海外生産が多くなっているためである。日本の企業は昔のシェア重視から株主重視の政策を採用し、また円の実効レートは1970年代の水準になり、実は恐ろしいほどの競争力をつけている。