2014年4月23日水曜日

金融史の真実(2) 第二期民間資本時代 第二期公有化時代



■第二民間資本時代(18~19世紀の自由経済時代)

イタリアや北ドイツなどの都市から勃興し大航海時代を経て王室によって掌握された資本システムは、18世紀半ばに大きな転換を迎える。産業革命である。

英国で始まった繊維産業の工業化の中で、その圧倒的生産量を誇る産業資本らが自由貿易の声を求める声を高めていく。その過程で東インド会社のような独占企業に対する風当たりも強まっていた。

それを理論面で支えたのがアダム・スミスの書いた『諸国民の富』である。ただしその民間資本のエネルギーは既に17世紀中盤からの英国における『商業革命』によって蓄えられていた。商業革命による資本蓄積が工業化への投資のための借金を容易にした金融面の革新を忘れてはならない。

凄まじい工業化の進展が英国を中心に起きたのは事実だが、ドイツ、フランス、アメリカにも同様に押し寄せその4ヶ国の工業生産は全世界の2/3~3/5に達したといわれる。こうした好況によって1848年に各国で起きた革命運動は沈静化し政治は冬眠期に入った。また金融が植民地政策を利用しながら拡大していく姿は、特に英国に顕著であった。

この時代のリスク計算では17世紀ロンドン大火などの火災事件を経て『火災保険』が発明された。『生命保険』も確率論の進展によって合理的なものになった。保険形式の年金はドイツの鉄血宰相ビスマルクによって導入された。

こういった年金や保険は『運用』によるリターンが必要となる。つまり負債と資産の両面を持つビジネスといった性格が強まるのである。

金融危機は1866年に英国の短期金融市場を支えていた手形割引最大手オーヴァレンド・ガーニー商会が破綻したことにより起きた。原因は米国における鉄道建設への融資失敗による預金流出で、その影響は英国以外にも広がった。

そんな危機に対し現在までに通ずる診断書を出したのが、英エコノミスト誌の編集人でもあったウォルター・バジョットである。

バジョットは1873年にその著書『ロンバート街』で

健全な銀行が何らかの原因で流動性危機に陥った場合、中央銀行は優良な担保の提供を前提としてその銀行に資金提供を行うべきであり、その際の金利は懲罰的な高い水準、つまりペナルティ金利を課すべきだ

という画期的な提案を行った。19世紀半ばまで中央銀行にはこうした金融機関を救済するという発想はなかった。この『バジェット・ルール』は現代でも重宝されており金融危機のバイブルとされている。

■第二期公有化時代(19~20世紀の政府支援時代)

産業革命以後、幅広い分野で生産の急拡大を促した。その背景には『平和の100年』と呼ばれる勢力均衡の国際政治体制や、金本位制に支えられた安定的なシステムがあった。

だが19世紀後半に頻発するようになった不況の波は民間主導で発展してきた資本システムに襲いかかり、産業資本は国家的な枠組みへの依存度を高めるようになる。

各国の経済が大きな壁に突き当たったのは1873年から始まった大不況であった。この世界的な危機は1930年以降の危機が発生するまで『大恐慌 Great Depression』と呼ばれていた。現在では『長期不況 Long Depression』という名称に変わっている。

この危機はウィーン証券取引所での株価急落を契機として、オーストリアの銀行破綻、ドイツの銀行破綻、米国の鉄道と銀行破綻まで拡大し、1896年までの長きに渡る『世界初のグローバル危機』であった。

この結果、ドイツや米国など台頭する新興国の間に保護主義への回帰が強まっていく。1861年に始まった米国の南北戦争も、自由主義と保護主義との戦いで、保護主義を支持する北部の勝利に終わっている。

当時は植民地拡大こそが大不況から脱出して資本システムの再構築を図る手段であった。英国のボーア戦争も金本位制を死守するための金確保を狙って英国が起こした戦争である。

そして次に起こったのが1929年から1934年までを指す『大恐慌』である。米国は株式市場の過熱気味な資金流入を抑制しようとし引き上げたが、これにより欧州に投資された米国資本が一気に遠国還流することになった。

当時は米国が敗戦国のドイツに資金を投じ、ドイツはその資金で英仏に支払いを行い、英仏はその資金で戦争中に米国から借りた負債の返済を行う構図ができていた。その循環が、米国資本の逆流によって凍結してしまったのである。

米国の株価暴落に続き、オーストリアのクレジットアンシュタルト銀行が破綻しこれが欧州の信用不安を招き、ドイツは全銀行が閉鎖され、イギリスは金本位制度を離脱した。

当時のフーバー大統領は国家は経済に介入すべきでないという施策であったが限界があった。資本システムは明らかに国家支援を必要としていた。

1933年に就任したフランクリン・ルーズベルトは『ニューディール政策』の導入で知られるが、就任二日後に全国的な銀行休日日を出したように最初に着手したのは銀行問題であった。

前政権が残したRFC(金融復興会社)を使って積極的に公的資金を民間金融に投入し、さらにFDIC(連邦預金保険公社)を設立し預金保護を制度化、またグラス・スティーガル法を成立させて、商業銀行と投資銀行を分離させるなど、制度改革を行った。

しかし実際に傷ついた資本システムを再生させたのは第二次世界大戦であったという見方はなお根強い。

このように2度の大不況からの脱出局面のいずれの場面でも、民間経済は国家に従属することになった。

リスク計算の分野では『格付け』が誕生している。これは鉄道建設ブームとそれによる破綻の歴史から要請されたものになる。

またその後の金融技術に必須となる『ブラウン運動』が数学の分野で発見されている。これによりインデックスファンド、オプション理論価格への応用、VaRといったリスク管理の分野までの道が開かれた。

**国債発行をもくろむエクアドル

エクアドルは2008年にデフォルトを宣言し、その6ヶ月後、1ドルあたり35セントで国債を償還した。そして現在のベルギーと米国で経済学を学んだ左派のRafael Correaは再び外債を発行しようと考えている。アナリストによると今から今年中盤にかけての間になる見込みである。エクアドルは国債発行ができない間、中国からの直接投資で資金需要を満たしてきた。利率は7%だと推定されている。Moody'sは2011年と2012年にエクアドルを格上げしているがこれも中国の直接投資を考慮にいれている。今後はこの中国の影響を減らす努力をするようだ。

**マドリッド カタルーニャの住民投票は憲法違反

カタルーニャ独立の住民投票についてMariano Rajoy首相は憲法違反だとし、議会は86%でこれを否決した。同首相は主権はスペインにあるのであり、地域にも州にもないと強い口調で演説をし、もしカタルーニャが行いたければ改憲をする必要があるとした。一方でカタルーニャのリーダーは法律的に可能だとしているが、同意地域の反対派の抵抗にあっている。