2014年6月30日月曜日

島研ノート 心の鍛え方(2) 勝負の場で生きるということ


前回から引き続き。

復習が大切ということや、若さが終わったあとのもがき苦しみといった部分がとても心に響く。一方で、何度も繰り返される好奇心という言葉。キーワードだろう。

■好奇心

若手は効率性を重視するが、羽生世代は答えがないところを考え続けることに衰えない秘訣がある。

同じわからないにしても、深さのレベルが歴然とあるのがプロの世界である。目に見えないものの中に宝がある。それを知らないまま棋士生活がなだらかな下り坂に入る時がある。ベテランの自然退潮の話ではない。20代、いや10代でも情熱を失えば同じだ。

年々怖れていることの一つに、自分を叱ってくる人が少なくなる点がある。上司とコーチがいない自由業の、危機を覚えなくてはならないところである。

将棋に限らず、創造する部分が必要な仕事でいちばん先に衰えていくのは、皮膚感覚であると思う。拒否反応があるというのは、自分たちが年をとって時代についていけなくなっている、そのはじまりだ。

おそらく、研究会をやっていた頃より自分が落ち始めたのは体力ではない。技術でもない。何より新しい感覚に挑戦する姿勢なのだろう。年代の違う後輩と指すのは皮膚感覚を保つ上で大事な刺激だ。

トップが最新型を張り合うのは、学習し始めると次から次へと好奇心が沸いてくるからだ。いわゆる好循環中毒で、理解は完全にできていなくとも向学の欲求をしばしば感じられることが、継続するために重要なのである。これは集中力や意志の強さとは、まったく違う能力といってよい。

問題意識が薄れたときが、棋士の衰え始める兆候だ。

わからないことに耐える力、ある局面で数分どころか数日間、あるいは数ヶ月考え続けて、自分の中で熟成させるのも熟達には大事な時間だ。プロの学習は全く羅針盤のないような局面でも、ひどい手を指さないようにするためといっても過言でもない。

結果を出すことにこだわりすぎると、前進が見込めない時、自分を責めたり罪悪感を覚えてしまう。

待つこと

将棋は考えるゲームと同時に待つゲームでもある。あらゆる仕事も、待つことが結果的に成功につながる。

対局中

対局時間が長ければ長いほど、読みだけではなく不安の時間も増えてくる。不安は内なる敵なので、具体的な思考を深めその根拠のない不安を少しでも打ち消すことによって、完全ではないにしても相手の手を待っている時間の消耗度が違う。

長考一つするにしても、日常で心配事や神経をすり減らす出来事があっては人間なかなか集中できない。

将棋は自分の指したい手を指すのではなく、究極には手を殺しあうゲームと言える。現代でクレバーと認識されている勝ち方は、相手に力をださせない手法が主流だ。

手拍子で指してしまったミスなどはいちばん後悔が残る。

60代の棋士が勝つというより深夜まで真剣に読みを入れているだけですごい。

瞬発力というより、判断力、対局中の修正能力、そして何よりどんな場面でも、正しい考え方で臨む姿勢こそが大きく勝負に影響してくる。考えるというのも、すべてによいことばかり生まれてくる訳ではない。思考の中には様々な邪念が生まれてくる時もある。思いつきやいっときの衝動を捨てきること、理性と平静心を保つ心こそが実力を出し切り、勝負を争う上での重要な技術だ。

感想戦

感想戦は主に相手との考え違いを確かめることに重点がおかれる。分析を正確にするためには、反省は結構辛い作業になる。

感想戦での、前時代と現代のいちばんの違いは『それも一局』という結論付けが大幅に減った点にある。それは羽生世代に時から現れたことであり、そこには好奇心と探究心が根付いている。



ありとあらゆる場面で、真剣勝負は『人間』が前面にでてくる。

一人で強くなれる天才棋士など存在しない。

羽生、佐藤、森内の美しさは群れない強さと含羞と恥じらいの美だ。

人が生きていくには、何らかの核を持っているのが大事ではないか。それさえしっかりしていれば生活の中心がわかるし、道中迷い立ち止まっても、また指針に戻り立ちなおせることができる。

復習

復習は大事だ。一局の反省とは、中終盤などのその時の雰囲気まで記憶に新しいうちに記録しておくことで、次に同じような局面を迎えた時にどう対処したらいいかわかる。これは簡単そうで、かなり厳しい反復練習だ。思い出したくない心理もあるし、相手のいやな癖や気になる仕草などは忘れたいものだからだ。反省ひとつでも本音をノートに書き出す、というのは実に難しい。厳しいこと、やりたくないことほど練習の効果は高い。

プロは目先の結果が大事だが、それと同じくらい、次への見込みや展望が大きく影響を与える。

勝ち負けに隠された、自分だけが知る本当の一局の点数付けが上達には大事な反省になる。

トップ棋士の話を長年聞いていると、予習より復習に時間をかけていることが解った。

負けることの痛み

勝負の世界に身を置いていると、1勝する喜びより、1敗する痛みのほうがはるかにに大きい。

将棋は本来楽しいものであるはずなのに、それを職業として生活そのものとなると、重くなることは普通に考えられる。キャリアと年数を積んで来れば、若い頃の負けの痛みから少しは慣れてきて軽減されるかと思いきや、自分の体験から辛いのは同じであるのがわかった。

『棋士は10連勝して1敗するより、10連敗しても1勝するほうが、精神的には圧倒的にいいと思います。直近の将棋がいちばん影響が強いから』と佐藤康光がいったがこれは真実を多分に含んでいる。1つの勝利は次の対局まで気持ちよく過ごせるという一時の免罪符にすぎない。誰も次の勝利などわからない。しかしその免罪符を積み重ね、瞬間に生きることこそ棋士の勝負人生の本質といえる。

プロというもの

プロを目指す第一の条件は真面目さ以外に考えられない。そしてそれが度を越したり、失敗した時には反省はもちろん大事だが、自らを必要以上に責めない、ゆとりある真面目さがポイントになってくる。将棋は基本的に失敗のゲームであるからだ。そう考えてみると、プロに向いているのは現在の多少の実力差よりも、性格的なものが大きい。

将棋の世界は日常的に勝負の決着を出していく場である。言い訳はきかず、長い期間には自分がどの立場にいるか、嫌でもわからされてくる。棋士になった時にトップを目指せる人間はもう実際はすでに限られたメンバーであり、また棋士生活を5年、10年とと戦場の中で磨耗していけば、それを目指せるものもどんどん少なくなるというのが現実である。

プロの世界は継続こそ力だ、になる。

プロは手を読むだけならいくらでも読めるが、それは仕事の本質ではない。決断があるからこそ、その読みが生きていくる。

大きな勝負に負けたり絶望していても、次の日にやるべきことは変わらない。次に会う人にはその落胆のかけらも見せることなく、小さな決めごとほど、より丁寧に取り組まなくてはならない。

会社とは違い上司はいない。アドバイスは将棋自体から自覚する。佐藤康光は、将棋に負けることが、誰にいわれるよりも何より自分が叱られている気がする、と言っている。

ボクシングで多くの世界チャンピオンを育てたダマトは、『トレーニングが辛くて、ボクシング以外に他の大事なものもある、という奴もいる。だが人生はそうたくさん道はないんだ』