2014年7月4日金曜日

良い戦略 悪い戦略 人生における戦略は成り立つのかを考えてみる(2)


昨日に引きつづき、人生に戦略を適用するこは可能なのかを考えてみる。

■評価関数を取っ払う方向はどうか

ここまでの隠れた前提は評価をするのは自分であるというもの。ということでこれを崩してみる方向で考えてみる。

1つは評価を他人に投げてしまうこと。他人が自分のことをAといったならそうかAなのかと思う。それについては一切評価をしない。死ぬときは他人からはAと言われた人生を生きたで終わり。

思考実験過ぎて感覚は追いつかないけど、評価基準を決めなくてはという圧力からは逃げられるかもしれない。これでも評価基準から逃れるという選好が働いているけど、まあ自己言及は必要以上にやる必要はないと思う。

ちなみにこれをもう少しすすめると、おなじみの『空』とか『無』になるのかも。この場合は修行することになるのかな。もし本当に悟ることが出来たらやはり一つの解だと思う。評価しない個になるという解決方法。たぶん解脱したらそれすら意識していないとなるんでしょうね。

となるとその裏側にある絶対神を作ってそれに奉仕するというのも、やっぱり一つの解として成立する。評価関数を自分ではなく、人間社会影響されない何かに依拠させるので迷わなくて良くなる。良く出来ている。

■ベイズ推定的な感じでどうか

ちょっと前の流行に乗ってみる。要は母集団を更新していく方法。生きていれば様々な情報に接し色々経験をする。そこでその都度考え方を変化させていく。

更新していくデータは、その都度の自分が良いと思った考え方、ないしはその都度もっともらしいとされている考え方を一定の時間間隔で採取する方法だろうか。

ここで問題になるのが時間のスパンだろうか。例えば自分だけの人生で考えてしまうと明らかに現代に偏向したデータ群になるので、時間の流れに弱いかもしれない。例えば1980年から現在まで1年後とに1回のデータを採取するとして、それらを等分に扱って良いのか。自分の認知力もまた時間の変数だ。

世間のもっともらしい考え方を採取するとしても、基本的なデータ群が戦後日本社会という中で語られるので相関係数が高すぎて意味が無いかもしれない。

個人的には紀元前2000年くらいから100年ごと、地域をばらつかせて、できるだけ互いに独立したデータを取っていきたいか。でもそうすると自分の生きている時代では1回しかデータが取れない(ぁ

この場合には非常に惰性の強い考え方が得られると思う。どの地域どの時代でも共通する価値観、あるいは価値観は横においておいて共通する行動というのがでてくるかもしれない。文化人類学的な。先に挙げた平均値の方法とも言えるかもしれない。

ちなみにどっちにしても定性的なものでいけるのかよ、データの取り方の恣意性は残るじゃん、という話は残る。

■環境の変化を考え忘れてた

自分がどうこうというだけで環境の変化という方向も考え忘れていた。つまりこのように思惟することができる環境が維持されない方向に考えてみる。

例えばなんらかの原因によって経済的困難に遭遇するのは誰しも想定できるかもしれない。こういった場合は単に生きることが戦略目標になるだろう(たぶん)。

人間は物理的な存在である以上、ここまでの抽象概念を全て無効にして、まず生きるが前面に出てくるかもしれない。生きることに無我夢中になるということはある種悟った状態なのか。

例えばいまの中央銀行の政策は制度そのものに挑戦しているので、失敗した時はリーマンショック時以上の不況と、それから今回のようにお金を刷って戻すという方策は消えていることに留意したい。

本書の最終章も金融制度を上げていて、システム上無理があるから壊れるだけ、それはテールリスクとかそういう事ではない、と言及している。個人的には我々のタイムスパンでは起きて当然というくらいの蓋然性だと考えている。欧州のような高い失業率と悪いインフレが重なったら明日のパンを本当に気にする時代が来ても不思議ではない。

またアルゴリズムやロボットの台頭は今のところではホワイトカラーの仕事を奪っていく様相だから、今の仕事が今後も安定的に供給される前提でなにがしかの戦略を立ているのは戦略として脆弱である可能性が高い。まあこれでさえ確率的だが、だいたいの確からしさということができようか。

ちなみに同じようにバラ色の未来も考えられる。技術の進歩によっていわゆる労働と分類されるものをしなくて良いとされる世界もあるだろう。その際は好きに生きていいよと言われた時、労働から解放された時の自由や興味をどう考えるというのも想定しておく必要がありそうだ。突然定年退職をさせれた日本の父親像を想像するケース。余生は長いしこれはこれで大変そうだ。

その他、戦争や異常気象などなど考えるとキリがないが、いずれにしても現在の延長線上だけを仮定して、また環境要因によって変化する戦略目標だと対処できなくなる可能性が高い。でも外部環境の変化を受けるのが、哲人ではない普通の人間。実施段階になると途端に難しくなる!

でもここからが、何をして、何を諦めるのか、を現実的に考え、泥臭く実行可能かを経験・検証しながらやっていく面白い部分だと思うのですがどうでしょう。

■未来に投げる

岡田斗司夫の問題解決の方法論として1つあったのが、問題のレベルが人類全体の問題だとするならそれは考えない、人類という種、全体として考えていくというのがあってなるほどと思っている。

この場合で言えば解脱も神も難しいとなると、後は他の頭のいい人や未来に考えてもらうとい選択肢になる。種を変えてしまうという解決方法は『素粒子』ですね。

自分でこの問題に答えを出そうしない。必要なのは答えを出す次世代を作る、用意する。映画や小説でも主人公は死ぬけど、子供は生まれてくるENDは良くあるがあれはあれで一つの解の形なのかもしれない。

人間が動物的な部分が多いといってもやはり他と違う部分は理性的動物であること。興味を抱き解を出すのが人間という種ならば、解答を出す作業を連綿と続ける系を維持するというのも一つの解かもしれない。

ネットワーク理論に拠れば構成要素そのものの生死が本質なのではなく、そのネットワークが機能しつづける、存在することこそ本質なのだという話もあったような気がする。

ネットワークの維持。なるほどそういう解もありそう。種全体で見るという視点は前述の『素粒子』もそうだし、ガンダムUCというかガンダム全体で問いかけられているテーマでもありますね。

■ということでまとめてると

1.解脱する 評価する主体を消す
2.神を信奉する 絶対評価を外に作る
3.1つの評価基準をなんとか決める 善く生きるとか 愛とか
4.変化してしまうことを前提にそれでもがんばる 後悔最小化かな あるいはベイズ的な
5.未来に投げる
6.ぽっくり死ぬ 評価せずに死んでしまう
7.最悪の事態を避けることで良しとする
8.人間という種を超越する

まだまだ考えられそうですがどうでしょうか。いまのところだと5番を軸にどれか1つをくっつける感じでしょうか。他に比べれば自分で解決しなくて良い分、気楽かなとは思います。