2014年8月3日日曜日

今週思ったこととか 20140802

■後北条氏

鎌倉幕府の北条氏と伊勢新九郎(北条早雲)は区別されていて、後者の方が前者にあやかって北条姓を名乗ったとされている。

それはともかく鉢形城や箕輪城に行ってみた。昔の国名で言うと上野(こうずけ)。個人的には日本の都道府県は全て昔の地名で記憶している(信長の野望の影響)。なので上野は群馬県ということを改めて記憶した。

箕輪城といえば長野業正だが、それはともかく小田原や伊豆から上野、下野(栃木)、武蔵(東京と埼玉)、それに上総(千葉の上)を版図していた後北条氏は凄いなと。かなり広い。

北条氏康や北条綱成の他には目だった逸材がいた訳ではないが、その外交センスや内政力、あるいは小田原城の防御力によって上手く渡っていったことが良く解る。今川、武田、北条、佐竹と周りは強力だったが、婚姻政策などによって生き延びていった。

実際にバイクなりを走らせて体感するとその版図の大きさを感じる事ができた。

■消極的なギバーは貧乏性という話

基本的に楽をするためには全力を尽くしますというある種の論理破綻なことを地でいっているので、本当はできる人がいれば全部投げたい方向なんですが、カバレッジされていない範囲をみると貧乏性の性なのかカバーしに行きたくなる。そこがギバー、テイカー、マッチャーという区分だと若干区分されにくいのかなと。まあマッチャーなんでしょうけど。

仕事場と家族や親密な人でのペルソナの使い分けが普通に前提として成り立っていた空気もあったけど、自分を振り返るとそんなに器用ではないので若干懐疑的。次の東さんの本でもあったけど、それこそ窒息しちゃうんじゃないかな。

身も蓋もないことを言えばギバーにしろテイカーにしろマッチャーにしろ、自分の心の最適化、あるいは気持ち悪さの解消を行っているという文脈では同じなのでまあそういう話なのかなと。

それと区分になじめいという話が多かったけど、実際のところは論文に目を通していないのでなんともいない範囲かなと。紙に最初に書いてもらってというくだりでも、どう書いてもらったのかという点はあの本からは明らかでないので良い悪いは判断し辛い。

この前の小保方ちゃんの話もそうだけど、実際に論文を読んで実験をする立場でないと良し悪しのニュアンスは本当はでないんじゃないのかなと。所詮伝聞だし。まあそうると何も言えなくなるという声が上がってきそうだけど、それと論文の内容の精査の話は全く別次元の話かな。

門外漢でもなにか言いたいから専門性を否定してでも語ることも許されるというのは、あくまでも括弧つきの意見に留めて置くのが門外漢としての礼儀だと思うがどうでしょうか。

■衛生要因としての社会人ではないこと

満員電車に久しぶりに乗ったけど、これはやはり統計に示される通り不幸度を高めるなと。配偶者や親の死というのは不幸度を一時的には高めるものの、時間を経るにつれて慣れていく。

それは毎日反芻するものではないから人間の注意が向き辛いというものから来る。でも満員電車や通貴人間の長さというのは毎日体感をするので、それが不幸度に影響してくる。

その点からみるとトレーダーという生き方は満員電車にも乗らないし、訳のわからない上司や部下もいないのでそういう衛星要因的なものからは逃れることができているのかなと。

プラスから評価するのではなくて、マイナスを経験しなくても良いという普段は気づき辛いけど意外に大切な部分かなと。

■好きなことについてを続ければいいという事について

巷間で流布されている説だけど、実際のところはどうだろう。ああこれが好きだなぁと思うようになるのは、前後左右解らないけどある程度その世界なり経験なりに身を委ねた後にやってくるものではないだろうか。

個人的には好きなものというのはそういう経緯を経て来たののが多いので、最初から好きが確定していてという文脈には若干懐疑的である。

理屈で言えばまっさらな子供でも何かを体験を1つした地点で好き嫌いがはっきりするというモデルができることになるので、ちょっと無理があるのではとお話。そうなると逆で、続いたものが好きだったという事になるのかしらん。